琥博くんの個性が花開く場所

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〉Vol.6 母の意識を変えていった、子どもの言葉や体からの訴え(この記事です)



「不登校は、本人の心の叫びを表した結果。小さい頃からずっと疑問を抱き、納得いかないことをさせられてきた結果だと思うので、早く気づかされてよかったと思います」と語る琴子さん。そこにはいったいどんなドラマがあったのか。琥博くんとのこれまでと、これからについて、乳児期からたどってお伺いしたお話を、連載でお届けします。

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先生の質問から察した、子どもの苦しさ

2年生の頃の2学期後半。

琥博くんが、学校にまったく行けなくなると、担任の先生がひとりできて、琥博くんに顔見せを求めました。

先生の顔は疲れきったように見えました。

先生が、玄関先で、「何がイヤなの?学校のどこがイヤ?職員室にいるだけじゃない」と琥博くんに質問しました。

少し迫るような雰囲気でした。

琥博くんは、何も応えられません。

その様子を目の当たりにした琴子さん、「これはきついな、これは苦しい、違うな、無理だな」とわかった瞬間でした。

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そして琴子さんは、先生に丁寧に断って、退いてもらいました。

「教室に入れない。こんな状態で無理やり連れていっても、苦しいだろうな」

改めてそう思いました。

2年生、3学期の様子

3学期。この頃も少しチックがでていました。

イライラすることも多く、泣きわめいたり、自己肯定感が低く、

「自分のことが嫌い」「寿命が短かったらいい」「ストレスが溜まって生きるのがイヤ」など言っていました。

一方で、カービィーのキャラクターを紙に描いて切り抜き、割りばしに付けて劇をする。それを担任の先生や他の先生に見てもらうことを楽しみにしているところもありました。

しかし、2回目の時、担任の先生の表情から「迷惑なのかな」とひとりで思いこんだ琴子さん。聞くこともできずモヤモヤを抱えたこともありました。

居場所を探してフリースクールを見学に

この頃琴子さんは、検索して、他の行き場を探し始めていました。

スクールカウンセラーや、メンタルクリニックの先生にも尋ねたものの、どちらとも学校以外の行き場の情報は持たないようで、役所で尋ねてみることを勧められました。

結局、自分で探して、行ける範囲で行ってみることにしました。

琥博くんは、「勉強を重視していない、体験重視の学校があるよ」と言っても興味を示しませんでしたが、「絵を描いたりするフリースクールがある」というと、すぐに「そこに行く!」と言いました。

そこで、1月の終わりに、見学へ行くことにしました。

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見学へ行くと、雰囲気がピタッと合ったのか、琥博くんは「明日から行く」と言い、行く気満々で、2月1日から行きました。

最初は午前中だけで様子を観ようということで、朝は琴子さん、昼は祖父がお迎えを、と思っていたら「早すぎる」と琥博くん。

結局15時に迎えに行くことにしました。

その日琥博くんは、調理実習で買い物からして恵方巻をつくりました。

琴子さんが、実家で待つ琥博くんを迎えに行くと、にんにくの薄皮をむくのを手伝っていました。

「どうだった?」と聞くと、「掛け算のことを言われてイヤだった」と琥博くん。

冗談っぽく「掛け算しようか」と言われたことが不快だったようです。

翌日朝、「頭痛いからフリースクール行かない」と琥博くん。すぐに、「掛け算のことかな」と思いました。そこで、「絵を書く道具を持って行ったら?」というと、「行く」と琥博くん。この日も、午前中だけの2時間は短いとのことで、15時お迎えにしました。

土日をはさんで月曜日。どうかな…

月曜日はしぶしぶ行きました。少し遅くなって10時からでしたが、その日もお迎えは15時希望です。

琴子さんが迎えに行くと、「帰りに車の中で話が」と琥博くん。

「もう辞める。一万円払ったから1年行かないといけない、と言われても無理よ。いろいろ言われるから。学校と一緒。最悪よ」と立腹しています。

琴子さんには、琥博くんがフリースクールに馴染むことへの期待は、もちろんありました。

家にひとりでは置いておけないし、実家で過ごしてもらうにも両親に負担がかかるので、琥博くんに合うところがあればなと思っていたからです。

この頃も、仕事を辞めるとか、ひとりで家で過ごしてもらうといった選択肢はなかったのでした。

この頃、期待が裏切られても受け止められた理由は?

インタビューしていて、ふと、期待が裏切られても、琴子さんが焦ったり困ったりした様子ではなく、息子さんの言葉をストレートに受け止めた様子を不思議に感じ、どのような心境だったのか、琴子さんに質問してみました。

 

琴子さん「当時は、思うようにならずに癇癪を起こすことが日常になっていました。

本当はこれが心の叫びなのに、前はわがままと思い込んで抑え込もうとしていたんだなと思います。

徐々に耳が傾けられるようになったのは、チックが心理的なものと知った後から。

そんなふうに体に出たり、『お母さんは僕を苦しめる』などはっきりした言葉を繰り返したりしたことで、ハッとさせられ、イライラしたり言い聞かせようと思ったりせずに、受け止められるようになっていきました」

安心できる声のかけ方なども工夫していたそうです。

つづく