5月の大型連休が明けた時、また他にも、

長期の休みや運動会・発表会などの大きな行事もそうですが、

「学校がイヤだ」「学校に行きたくない」と訴える子が増えます。

子どもが学校へ行くのを嫌がるのはどうしてなのでしょうか。

そしてどのように対応したらいいのでしょうか。

 

 

休み明け、どうして学校に行きたくなくなるのか

 

入学・新学期から約1か月。

子ども達は、新しい環境の中で、思い思いに頑張ってきました。

比較的すぐに馴染んだという子、

何とか必死で頑張ったという子、

イヤだイヤだと言いながら、何とか登校を続けてきたという子、

イヤだ、怖いという気持ちに蓋をしてとにかく登校した子、

みんなそれぞれ一生懸命に。

 

そんな子どもたちにとってゴールデンウィークは、学校から解放されます。

家庭で家族と過ごす安らぎを感じる数日間を過した後、

また始まる学校という現実に引き戻された時、

「本当は嫌だった」という気持ちが溢れ出てくるのです。

 

 

学校がイヤな理由

 

「学校がイヤ」「行きたくない」と感じるのには、子どもなりに理由があります。

それを言葉でうまく伝えきれないことも多いのです。

 

 

学校がイヤな理由の例

 

気質的に、慣れるのにとても時間がかかる

実は学校で嫌なことがあった。

先生・お友達が合わない

先生が怖い・他の子が怒られているのを見てつらくなる

強い子やいじわるな子、いじめっ子がいる

競争や発表をさせられるのが苦手

集団が苦手

慣れた教室は良いけれど、移動や他のクラス・学年の生徒と一緒に活動するのが苦手

運動会や発表会の練習が苦手

健診などで外部の大人がきたり、お医者さんがきて怖いけど逃れられず、耐えて言う通りにしないといけないのが苦痛

宿題・ルールがイヤ

 

などなど。

 

 

第一段階の対応

「学校がイヤ」の理由や程度によって対応は変わります。

・子どもさんの中で、「行きたい」「行きたくない」の割合で背中を押すかどうか判断する。

・どうしても苦痛なものを避けることができれば行けるのであれば、担任の先生や校長先生に依頼してみる。

・子どもさんのニーズをはっきり聴くことができたらそれを受け入れる。

→親が付き添って登校する

→お休みすることを最大限に許容するなど

*学校との連携や、クラスメイトへの影響などへの懸念もありますので、学校側にどこまで依頼できるかについてや、より詳しい対応については『個別相談』にてご相談下さい。

 

 

なお、登校を促すことで心の傷を深めたり、心身の健康に支障が出るようであれば、以下の事例を参考にしてみて下さい。

 

 

小学1年生Aちゃんの不登校の例

 

ホントはイヤだった!

小学1年生のAちゃんは、ゴールデンウィーク明け頃から登校を渋るようになりました。

Aちゃんのお母さんは、仕事を休むわけにいかず、何とか説得してAちゃんに学校へ行かせていました。

Aちゃんは、学校の規律や、空気・雰囲気、先生の叱責などを苦痛に感じて行きたくないという気持ちが膨らんでいたのです。

でも、その苦痛がお母さんに伝わらないことがAちゃんを苦しめていました。

ある日、Aちゃんの張り詰めていた感情の蓋が取れ、抑えていた怒りや悲しみが一気に噴出したのです。

「ホントはイヤだった! ホントは行きたくなかった! お母さんはわかってない!」

Aちゃんは泣き続けました。

 

 

お母さんの葛藤

ママは、職場に迷惑をかけることでかなり葛藤しながら考えた末、

上司と向き合い、Aちゃんの現状と、今を大事にしてあげたいとの理由で辞職を受理してもらいました。

そして、夫婦やカウンセラー、Aちゃんと話し合って、Aちゃんを休ませることにしました。

「A、大丈夫だよ。お母さんが先生になるから、学校休んでも大丈夫、もう何も心配しなくていいよ」

と、お母さんは決心してAちゃんに伝えたのです。

しかし、学校を欠席し始めて3日、4日と経つごとに、担任の先生や身内、世間様の目、そしてAちゃんの勉強や社会性の遅れ、将来のことが気になり始め、不安と焦りが押し寄せてきました。

そして、1週間が経つ頃には、「やっぱりこのまま休ませ続けることはできない」という考えに頭の中が占領されてしまいました。

 

 

学校は誰のために行くの?

小学校に上がったばかりのAちゃんにとって学校は、

行くのが普通で当たり前で、行かないといけないから行くしかない。

「行かない」「行きたくない」と言うことは、おかしなこと、いけないことだし、

お母さんががっかりするし、困ること。

と、肌で感じ取っていたのです。

 

つまり、子どものための学校だと思っていても、

7歳のAちゃんにとっては、「お母さんのための学校」

角度を変えれば「お母さんからの承認を得るための学校」というわけです。

 

 

子どもは“絶望”を閉じ込め“適応”してみせることがある

共感性が高く、敏感なHSCのAちゃんは、

お母さんの言葉や態度から「お母さんに見捨てられた」と感じ取りました。

家庭に居場所を無くしたAちゃんは、普通に登校を始めたのです。

誰の目にも大丈夫そうに見えたAちゃんの、絶望に蓋をした心の中はとても深刻な状態になっていました。

実際にAちゃんは、心ここにあらずの状態で、ボーっとしているようなことが、目に見えて多くなっていきました。

これは、解離(かいり)と言われ、強いストレスを受け続けた時に、自分という意識が分離して、もうひとりの自分(別人格)をつくり出すことで、苦痛に耐えようとする無意識的な心の防衛反応です。

 

結果的にお母さんは、Aちゃんの、泣きやすい・怒りっぽい・赤ちゃん返りのように甘えたり親を振り回すなどの情緒の不安定さと学校への拒絶から、『学校を辞める』という覚悟で、登校させようとすることから離れ、家庭で学習する“ホームエデュケーション”という選択をしました。

理由は、Aちゃんの(幼い頃からの)心のダメージの回復には十分な時間とケアが必要と思われたため。

またそこまでの決断をしなければ、Aちゃんを傷つけてしまいそうだから。

そして、敏感で繊細な感受性を持つAちゃんにとっては、その選択が最も適していると判断したからです。

 

 

どうしても拭えない不安

そこまでの決断をしたお母さんでしたが、それでも度々、罪悪感や不安に襲われました。

子どもさんの不登校や行き渋りなどといった問題に直面した時、多くの親御さんは、Aちゃんのお母さんのように、担任の先生や身内・世間様の目、そして子どもさんの勉強や社会性の遅れ、将来のことが気になり、「どうして学校へ行きたくないのか」よりも、「どうしたら学校へ行ってくれるか」の方が問題になって焦ります。

「ほかの子に遅れを取るのではないか」、「甘やかしている、しつけができていないなど、世間の目が気になる」などから保護者が追い詰められて、子どもの気持ちや感情を受け止めきれず、何とか学校に行かせなくては、宿題をさせなくてはと、子どもに圧力や恐怖を与えてしまうことで望まぬ悪循環が招かれてしまいます。

実際に、親や親族、世間様の目や意見には、厳しいものもあり、「学校へ行かせることが当たり前・子どものため」、「行かないのはわがままだ、甘えだ」、などの価値観や正論の押しつけによって、お母さんや子どもさんが罪悪感や劣等感にさいなまれて追い込まれているケースも多々あるのです。

 

 

お母さんを追い詰める、子どもの心の傷の責任

お母さんがそのようなプレッシャーの中で不安・緊張状態にさらされている時、取るべき道がひとつしかないように感じてしまうかもしれません。
「学校へ行かせなければ・・・」と。

 

そうした場合、

「学校に行けない私をお母さんは受け入れてくれなかった」

子どもはそれを肌で感じ、無理して社会に適応しようとすることで負った心の傷(トラウマ)の責任や怒りが後になってお母さんに向けられることがあります。

お母さんとしては、子どものためと思い、社会のシステムに疑問を持つことより、子どもを社会に適応させることに必死だったのです。

「必死に頑張って背中を押したのに責められるお母さん」と、「お母さんの誘導に従わざるを得ないことで傷を負ったと主張する子ども」

親と子のこのギャップはとても残酷ではないでしょうか。

このギャップを客観的にとらえてわかることは、社会にその子を適応させるのではなく、その子が示す正直な反応や感情と向き合いながら、その子に合った道、環境を探すことが必要な子が確かに存在するということ。

 

 

“いのちの声”を信じる

大切なことは、お母さんが信じるのは、学校や身内、世間様ではなく、目の前の子どもです。

ここで言う「信じる」は、「この子はきっと学校でやっていける」という方向ではなく、

「この子の“いのち”が『今の私が生きる場所は学校ではない』」と主張している“いのちの叫び声”を信じるということ です。

誰から何を言われようと、子どもの心と身体が健康に、健全に育つかどうか、その責任は親が負わなければならないのですから。

お父さん・お母さんが信じてくれている、お父さん・お母さんが守ってくれた、その安心感は、自己価値や自己肯定感を育むものです。

 

 

子どもの個性に合った選択

 

この先学校へ行くかどうか、将来どのような職業・生き方を選ぶのかはわかりません。

しかし、子どもさんが、周りに合わせることで自分らしさを失う性質かどうかの見極めは肝心で、自分の中から湧いてくる正直な気持ちに従って選択していく生き方をした方が極めて健全と言える子が確かに存在するのです。

つまり、そのような子どもさんが成長した先に、ほかの人が良しとするものが自分には合わないということに引け目など感じず、“自分”のライフスタイルに誇りを持って生きられる、そういう土台を築くことができる選択肢があるということなのです。

幸い、近年、“多様性”が尊重されつつあるなど、世の中の潮の流れが変わってきています。それぞれの個性に合った学び方が認められつつあるということです。

「学びの場は学校でなくても良い」、つまり、家庭学習やフリースクールも、ひとつの選択肢として認められることによって、それぞれが学びの形を選択できる制度になる可能性も出てきている、というわけです。

 

 

さいごに

世の中の当たり前に当てはまらない価値観や考えを持つことは、少数派を選択するということを意味します。

多数派に属することが安全であるとして生きてきた名残は、ちょっとしたことで迷いや不安を起こさせます。

だからこそ、少数派を選択する理由や目的をはっきりさせ、その選択に確信を持つこと。

そのための情報を求めること。

そのうえで、子どもを主役にし、常に子どもの気持ちや意見に聞く耳を持って、当たり前の概念に捉われない選択肢を並べ、その子にもっとも合ったもの、ペースを選んでいくことが大切です。