琥博くんの個性が花開く場所

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Vol.4 学校に行きたくない。チック症状でメンタルクリニックへ(この記事です)



「不登校は、本人の心の叫びを表した結果。小さい頃からずっと疑問を抱き、納得いかないことをさせられてきた結果だと思うので、早く気づかされてよかったと思います」と語る琴子さん。そこにはいったいどんなドラマがあったのか。琥博くんとのこれまでと、これからについて、乳児期からたどってお伺いしたお話を、連載でお届けします。

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気になる変化。保健室に行く回数が増えた新学期

スイミングと学童を嫌がる一方で、学校生活に関しては特に問題が見られなかった琥博くんですが、2年生の新学期が始まると、気になる変化が訪れました。

「頭が痛い」「のどが痛い」と、保健室に行く回数が増えたのです。

担任や保健の先生から連絡があり、お迎えの要請があると病院に連れていったりしました。

保健室には、同じクラスの子が3人くらいいました。

他の子のお母さんも、うちの子も…、と話していました。

その様子から、新学期の何らかの変化が子どもたちに不安をもたらしていることが想像できました。

変化① 担任の先生

まず、大きな変化は担任の先生でした。

1年生のときの女性の先生は、子どもを細かく見て、自信を持たせてくれる先生だったので、子どもたちや教室に、安心感があったのかもしれません。

2年生のクラスの担任は、男性の先生で30歳前後。教員以外の職業を経て教員になり2年目でした。

変化② 宿題の量

次に、宿題が多くなりました。

宿題は学童でするようになっていましたが、学童でしてこない日も出てきました。

さらに、家で宿題をしようとしていたら、「鉛筆を持つ手に力が入らない」と言うように。

当時はガミガミ言って、付きっきりでやっていました。

しかし、怒っても逆効果だと思い直し、一緒に書いたり、答えを教えたりしていました。

それでもまったくできなくなってきました。

だんだんと癇癪を起こすようになり、泣きわめきます。

宿題をすることができないため、「お母さんが先生に話す」と言って先生に伝えました。

その後も連絡帳に書いて伝え、「無理させず様子をみましょう」ということになっていました。

なんで学童に行かないといけないの!?

この頃には、「学校に行きたくない」と言ったこともちょこちょこありました。

しかし、琴子さんは仕事に行かなければならず、ごまかして学校に行ってもらっていました。

夏休みも、琴子さんは仕事のため、琥博くんは、朝8時から17時まで学童で過ごさなければなりません。

琥博くんは、「何で学童に行かないといけないの」「早く迎えにきてよ」と訴えます。

そのためこの頃は、琴子さんのお母さんに迎えに行ってもらっていました。

お盆休み。仕事が休みになり、琥博くんも5日間ほど学童を休みました。

その後です。「行きたくない」が強くなりました。

しかし、それでもなんとか行ってもらっていました。

ストレスが加わると一段と激しさを増したチック症状

その頃からチック*の症状が出始め、首を回すようになりました。

 

*チック:突発的で反復性の常同的な運動あるいは発声で、まばたき(目をパチパチさせる)・目を動かす・顔をしかめる・口をゆがめる・口を尖らせる・舌を突き出す・首を振る・肩をピクピク持ち上げる・飛び跳ねる などの運動性チックと、咳払い・鼻を鳴らす・舌を鳴らす・単語の発声や短い言葉を繰り返す などの音声チックに分けられます。

 

夏休みの宿題も「手に力が入らない」「頭が痛い」と進みません。

学童の先生にもそのことを伝え、つきっきりで見てもらっていましたが、どうしても書けません。

首を回す症状に関しては、本人も気にしていて「止めて」と言ってくるようになりました。

さらに、緊張や勉強でストレスが加わると一段と動きが激しくなります。

「気にせず長い目でみていこう」と伝えましたが、琥博くん本人は、「気にしなくてもいいって言っても止まらんのよ!」とパニック。

「治したいから病院に連れていって」と言います。

当時は、症状が心理的なものとつながっているとは思ってもいなかったので、何科に行けばいいのか、調べたり尋ねたりしました。

上司の子どもさんも、小さいときに気になることがあって、心のクリニックに行ったと聞き、クリニックに電話をしましたが、予約の電話の受付でさえ2ヵ月待ちなので半年先になるかもしれないとのこと。

電話口で症状を話し、どこに行けばいいのか尋ね、紹介してもらったところに予約をしました。

9月1日に、まずは琴子さんだけが行くことになりました。

初回は、心理士さんに症状を説明するだけ。

その日はたくさんの問診表を渡され、次回、先生の診察に当たり、通知表や描いた絵、文章などよくわかるものをたくさん持ってきてと、指示されました。

症状が増え、学童を辞めることに。そして「学校に行きたくない」

2学期が始まると、「目がちかちかする」など、症状が増えてきました。

そのため、激しく嫌がっていた学童を、9月4日を最後にやめることにし、祖父母に見てもらうことにしました。

琥博くんは、学童から離れられたということで、多少は落ち着いた様子でしたが、次第に「学校に行きたくない」という訴えも増えてきました。

メンタルクリニックへ行くためにちょこちょこ休んだりすることはあったものの、2学期の初めは、まだ登校はできていました。

ただ、他にも教室に入れない子が数名いて、1日保健室で過ごしたり、職員室で過ごしたりするといった状態でした。

しかし……、10月末の夕方、「もうずっと学校行かない」と泣きわめきました。

10月31日、「学校に行けない」とのことでお休みしました。

翌11月1日には、熱と喘息が出ました。

そして、連休明けの月曜日は1日保健室で過ごしました。

お母さんの胸に刺さった子どもの訴え

この頃は、スイミングも限界でした。

スイミングが終わって帰りの車の中での琥博くんの、怒り、訴える言葉が、琴子さんの胸に突き刺さりました。

「あ゛ーもうやめたくなる、ボクを苦しめるのかい!」

琴子さんが「海で泳げるようになって、魚とか海の生き物の世界を楽しめるようになったらいいと思って」と話すと、琥博くんは『そうやってお母さんはボクを苦しめるんだね!』と、強くイライラした様子。

そんなに苦しかったんだ…。

胸に突き刺さった言葉から、琥博くんの苦しみが染みわたるように感じられた琴子さん。

学校に行くことも出来なくなっていた時で、この訴えだったので、もうこれ以上は無理だと思いした。

スイミング教室に、辞めることを連絡しました。

すると以前担当してくれていたコーチが「琥博くんと一度話をしてみたいので来れそうだったら」と言われたので、同伴して話をしました。

「せっかくここまで頑張ったのに、違うクラスだったらどうかな?」と引き留めの話でした。でも、琥博くんのやめる気持ちは変わりませんでした。

琴子さんは、コーチに、チック症状でメンタルクリニックを受診したことと、学校にも行けなくなってきていることを話しました。

するとコーチは「そうか…話していても私と目が合わないから、病院で相談されているならその方が…」と。

辞めることは決めていた琴子さんでしたが、この時は少し突き放された感じがして、ショックで誰にも話せずにいました。

つづく