斎藤 裕:精神科医
このところ、Webニュースやテレビで連日のように『教育虐待』という言葉を目にします。
「あなたのため」という名目の「しつけ」や「教育」が加熱し、行き過ぎた結果、子どもが壮絶な虐待の犠牲になって命を奪われるという痛ましい事件や、子どもが親を殺す事件、自殺などが引き起こされているという現実がはっきりと浮かび上がってきているのです。
一方で、育児・教育ジャーナリストのおおたとしまささんは、次のようにも述べておられます。
子どもの意思を軽視し、親が子どもの人生を操り、子どもに生きづらさを感じさせるとするならば、それも広義の「教育虐待」といえるのではないかと、取材を通して私は思った。教育虐待が、うっすらと見えにくくなっているのだ。
そこで、「壮絶な」とまではいかなくても、子どもに負の影響を与えてしまう「しつけ」や「教育」について考えました。
「しつけ」「教育」に対する考え
皆さんは、「しつけ」や「教育」について、どのような考えをお持ちでしょうか?
子どもは家庭や学校などで「しつけ」や「教育」を受けて育つもの。
子どもにきちんと「しつけ」をして、「教育」を受けさせるのが親の務め、という考えは一般的なものだと思います。
また、「しつけ」や「教育」は、子どもの将来のため、という親の『愛情』であると考える方も少なくないと思います。
しかし、そのような、子どもを思う親心が、もしも子どもにとってマイナスに働いてしまうことがあるとしたら、いかがでしょう。
そのマイナスの影響を防ぐには、「しつけ」や「教育」が「どのように作用し」、「しつけ」や「教育」によって「どのようなマイナスの影響がもたらされるのか」を知って、見直すことが必要です。
そこで、子どもさんや、かつて子どもだったあなたにとって、
「しつけ」や「教育」によってどのようなマイナスの影響がもたらされているのか、以下のチェックリストで確認してみましょう。
『その習慣、「しつけ」や「教育」の“後遺症”かもしれません。』
次の20個の質問のうち、あなたはいくつ当てはまりますか?
□ 自分のことを周りの人がどう思っているのか気になる
□ 相手に嫌われるのが怖いので、相手に合わせて自分の正直な気持ちが言えない
□ 「こうあるべき、こうしなければならない」という考えに縛られていることが多い
□ 「我慢することは良いことだ」と、今もそう思う
□ 自分のことより、周りの人のことばかり考えてそっちを優先してしまう
□ 人のために生きることが良いことだと信じきっている。
□ 相手の役に立つことができなかったり、期待に応えることができないと罪悪感が湧く
□ 人前で良い人・良い子を無意識にアピールしてしまうことがある
□ 人から認められたいという思いが強い
□ 目上の人の考えや感じ方・価値観と違うことを選ぶことへの罪悪感がある
□ 過剰に適応しようとしてしまう
□ 嫌なことに『No』と言えない
□ 集団や組織に属していないと不安になる
□ 自発性・自主性・主体性が育っていない
□ 新しいことを始める時はいつも不安だ
□ 自分のことがよくわからない
□ 自分の感情や本当の欲求がわからない
□ 自分の思いを通そうとする。こだわりが強い。頑固である
□ 完璧主義・潔癖の気がある
□ いつも人よりも上にいたいために、勉強するなど何か努力していないと不安になる(『上昇志向への依存』『高学歴や社会的評価の高い職業・肩書・経歴・資格への依存⦅自分の子どもに託す場合もあり⦆』)
「しつけ」や「教育」の中に隠れた“虐待”
いくつ当てはまりましたか?
これらは、「生きづらさ」や「対人関係の困難さ」「アイデンティティーの問題」につながっています。
それぞれの項目は、「自分らしく生きることができるための主体性」が妨げられること、さらに、それに対する反動(防衛)として起こっているものです。
これらの習慣は、「性格やものの考え方の問題」と捉えられがちですが、改善に臨むには、「しつけ」や「教育」の中に隠れている“虐待”の後遺症であるという視点を持つ必要があるのです。
親や身の回りの大人からの負(マイナス)の影響
では、いつの、どのような「しつけ」や「教育」、またそれを与えた人との「関係性」が、このような習慣をもたらしているのでしょうか?
私は、今までメンタルクリニックやカウンセリングの仕事を通して、心の病や人間の悩み・苦しみと向き合ってきました。
苦しみ(症状)を薬で抑えていく従来の医療を離れ、その苦しみの根本原因を追究する中で、直面していったものが
『親や身の回りの大人からの負(マイナス)の影響』
というものでした。
その『親(大人)からの負(マイナス)の影響』となる原因の代表が“虐待”です。
その、“虐待”によって、子どもは意に反して『主体性(自発的な意志・判断によって、みずから責任をもって行動する力)』を奪われ、自分本来の欲求や自然に湧いてきた感情を閉じ込めてしまう習慣が身についてしまいます。
その結果、チェックリストで示した習慣や、自分という存在の不確かさ・自分という存在に対する違和感などのアイデンティティの問題、不安障害やうつ・依存症の問題、対人関係・子育てにおける困難さなどの苦しみの種を抱えてしまっているという現実に直面させられたのです。
しかし、残念ながら現在の精神医学の中で、このような考えについて触れられることは非常に少ないのです。
子ども虐待の中の“心理的虐待”
子ども虐待には、“身体的虐待”、“性的虐待”、“ネグレクト(放任虐待)”、“心理的虐待”などがあります。
今まで、日本において取り沙汰されてきた“虐待”は、“身体的虐待”や“ネグレクト”がほとんどでした。
“心理的虐待”と“性的虐待”については、表に出てくることはまれでした。
今回私が“虐待”として取り上げたいのは、主に“心理的虐待”です。
そこに“虐待”という認識が見られないからです。
なぜならその多くは、「しつけ」や「教育または指導」という名のもとに行われてきているためです。
さらに『「この子の将来のために」「この子のためを思って」している』、というモチベーションが、世間一般的にも正当化されているため、問題視されにくのです。
“心理的虐待”の中でも非常に多いのが、
『“子どものため”を名目とした、親(大人)の都合による価値観の一方的な押しつけ』
『暴力・圧力を伴った親(大人)の有害な言葉や態度の有無を問わず、親(大人)の都合で考える常識の枠に当てはめさせるための、無意識的な誘導操作を含めたコントロール』
これによって、以下のような問題が生じます。
①持って生まれた子どもの個性や気質が押しつぶされる、
②子どもの『主体性』が奪われ、その過程の中で自尊感情や自己肯定感までも損なわれることがある、
③子どもの本当の欲求や自然に湧いた感情を抑圧させてしまう、
これらは、知力・腕力・言語力とも大人にかなわない頃の無力な子どもにとっては、【抵抗不能な心への侵入】というトラウマ体験となるのですが、“虐待”としての認識はおろか、“問題”として意識されることはまれです。
また、体罰や折檻などの“身体的虐待”と、“心理的虐待”を受けてきた人は、それらが“虐待”であったとしても、
「親(大人)がダメな自分を厳しくしつけて立派に育ててくれたのだ」
と理由づけしていることが多く、そこに罪悪感と、抑圧された親(大人)に対する恐怖が多く存在すればするほど、無意識のうちに親(大人)を理想化する傾向を示します。
ただし、“心理的虐待”の場合、その恐怖すら自覚していないことが少なくありません。
それは、幼少期からの、親の都合や価値観に合わせなければ見捨てられるという“条件つきのコントロール”(いわゆる『条件つきの承認』『条件つきの愛』のこと)によって、今も親の都合や価値観に合わせなければ“見捨てられるという恐怖”に支配された状態にあるのだが、無意識の中で、「親の立場で考える」「親と同じ考えにする」など、親に同一化することによって恐怖心から自分を守ろうとする防衛機制が働いているからです。
この、「しつけ」や「教育」の中に隠れている「親(大人)の都合で考える価値観や概念の押しつけ」「コントロール」という“虐待”の本質に光が当てられなければ、ネガティブな習慣や様々な問題の本当の原因が解明されることはないでしょう。
『道徳とされる考えに基づく言葉』による影響
しかし、『主体性』を失わせるものは、親(大人)からの「価値観や概念の押しつけ」や「コントロール」による影響だけではありません。
それは、言葉の真意もよくわからない、判断力のまだ低いとされる無力な子ども時代に刷り込まれている、次のような『道徳とされる考えに基づく言葉』による影響です。
「泣くな、負けるな、強くあれ」
「我慢強い子になりましょう」
「感情的になるのは良くありません。もっと大人の振る舞いをしましょう」
「人に迷惑をかけてはいけません」
「自分のことよりも、ほか人のことを考えましょう」
「目上の人に逆らってはいけません」
「わがままを言ってはいけません」
「友だちをたくさん作りましょう」
「社会に早く適応し、誰からも認められる人間になりましょう」・・・・などなど
(取り上げたらきりがないのですが・・・)
そして同じような社会道徳や社会通念としての考えや価値観が、この国の「常識」となって、国民に“吹き込まれ”、個性や独自性・主体性の発揮を妨げさせるような信念・信条、欲求や感情を閉じ込めさせるような信念・信条を引き起こし、苦しみの種を植えつけているのです。
このような現実を私たちは客観的に捉え、その弊害についてはっきりと見ていかなければなりません。
中でも抵抗不能な弱い立場にいる子どもたちがその犠牲になっているという事実に目を背けるわけにはいかないのです。
その、犠牲からもたらされるのは、前述した「『しつけ』や『教育』の中に隠れている“虐待”の後遺症」と同じような習慣の数々です。
これは、子どもの意志とは関係なく与えられた学校という環境の中に「こうあるべき、こうしなければならない」という道徳規範が存在する時、子どもたちがその環境に適応していく中で、身についてしまいやすいのです。
「しつけ」や「教育」の影響を受けやすいHSC
『教育虐待』は、「共依存」との関連性についても触れられています。
先日の「共依存」の勉強会の記事で述べたように、
親の顔色や親の意向を敏感に感じ取る、自分のことは後回しにして親の意向に沿うような行動を取るなどして親の気分をコントロールしようとする懐柔型の統制パターンを取る傾向の強いHSC(Highly Sensitive Child:ひといちばい敏感な子)の多くは、良い子(良い人)の衣を身につけ、良い子(良い人)として生きる習慣を身につけています。
そのような良い子(良い人)として生きるHSCの場合、「自分はどうしたいのか」ではなく、「自分の言動を親(人)がどう思うか」「自分の言動を親(人)がどのように評価するか」を優先させる傾向がとても強いのです。
そのためHSCは、さらに、「しつけ」や「教育」の中に隠れている「親(大人)の都合で考える価値観や概念の押しつけ」「コントロール」の影響を受けやすいと言えます。
それはつまり、
・その子の持って生まれた個性や気質が押しつぶされやすい
・その子の『主体性』が奪われやすい
・自分で人生の行き先や生き方を決めることができなくなりやすい
ということなのです。
今、注目を浴び、意識が高まっている『教育虐待』という言葉は、「親としての子どもへの思い」が、子どもにとっては不本意な心への侵入になっていて、子どもの正常な心の発育・成長に悪影響を及ぼしているのではないか、ということを捉え直すきっかけになるのではないかと思われます。
参考文献
『お母さんはしつけをしないで』 長谷川 博一/著(草思社)
『お母さん、「あなたのために」と言わないで』長谷川 博一/著(草思社)
『隠された児童虐待』鈴木健治/著(文芸社)
※心への侵入を受けやすい敏感で繊細な子へのマイナスの影響については、『ママ、怒らないで。不機嫌なしつけの連鎖がおよぼす病』(風鳴舎)の第6章 p126~127に、“心理的虐待”については、同じく『ママ、怒らないで。』の第7章 p140~149に、詳細を記しています。
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