執筆者:斎藤 裕(精神科医)

HSCに多いと感じられる特徴のひとつとして、

「相手と興味や関心が一致していて、喜びを感じられるような関わりや奥深い会話を好み、逆に雑談や世間話などの表面的な会話・関わりは好まない」

という傾向があります。

(※HSCという高い敏感性・感受性と、HSS⦅High Sensation Seeking=刺激追究型⦆という強い好奇心を併せ持っているタイプの子が存在しますが、ここでは、HSSの気質が強い子については含まれておりません)

ボクは、コミュ障だよ

YouTubeに詳しいHSCを自認する息子(当時8歳)から

「ボクは、コミュ障だよ」

という言葉を聞いたことがありました。

それから随分あとになって『コミュ障』という言葉を調べてみて驚きました。

あくまでもネットスラングとしての『コミュ障』という言葉ですが、このように書かれていました。

コミュ障(こみゅしょう)とは、コミュニケーション障害の略である。実際に定義される障害としてのコミュニケーション障害とは大きく異なり、他人との他愛もない雑談が非常に苦痛であったり、とても苦手な人のことを指して言われる。

さらに概要として、こう書かれていました。

あくまでも、できないのは休み時間などに行われる、友人や知人たちとのどうでもいいけど実に楽しげな会話である。多くの人は、学校生活や仕事上でどうしても必要な会話、事務的な応対については、割と可能であったりもする。

この内容を読んで、「ボクは、コミュ障だよ」と言ったあの時の息子のカラッとした表情が思い出され、HSCを自認し、ありのままの自分を肯定的に捉えている息子の姿に羨ましささえ感じられたのでした。

「人見知り」・「引っ込み思案」?

HSCの多くは、一般的に求められている幅広く交友関係をつくること(友だちをたくさんつくること) に価値を置くコミュニケーションとは異なり、1対1で深くつながり合うことを好みます。

自分が交流を深めたい相手を選び、その相手と深いところでつながって共感し合えるようなコミュニケーションを求める傾向が強いのです。

しかし、自分が選んだ相手でなく、学校などの社会の制度や大人の人たちによって引き合わされた相手に対しては、HSCの多くは「人見知り」が起こりやすく、そうした姿が「引っ込み思案」のように捉えられてしまいやすいのではないかと考えられます。

その様子は、社会からはネガティブなこととして扱われやすいかもしれませんが、人間関係の量よりも質を重視するという、多くのHSCに見られる性質は、人としての魅力に値しないだろうか…と考えるのです。

しかし外向性を理想とする学校や社会では、友だちをたくさんつくることのほうが模範的なコミュニケーションとされる風潮が強いです。

生まれ持った独自の気質(性質や才能)が、その子の魅力や個性として花開くかどうかは、その子に与えられた環境の影響が特に大きいと言えます。

特にHSCは、心が自分にフィットした環境では水を得た魚のように生き生きと輝き出します。

ですから、その子の本質が魅力や個性として開花できるような、その子の身の丈(気質)にフィットした育ちや環境の選択をすることが、私たち大人にできることなのではないでしょうか。