琥博くんの個性が花開く場所

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Vol.15  私もHSCだった(この記事です)



「不登校は、本人の心の叫びを表した結果。小さい頃からずっと疑問を抱き、納得いかないことをさせられてきた結果だと思うので、早く気づかされてよかったと思います」と語る琴子さん。そこにはいったいどんなドラマがあったのか。琥博くんとのこれまでと、これからについて、乳児期からたどってお伺いしたお話を、連載でお届けします。

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HSCで良かった、不登校になって良かったと思う今

子育てでうまくいかないことについてなのか……?

普通とどこか違うと感じることについてなのか……?

琴子さんにはずっと、「なんだろう、なんだろう」という思いがありましたが、HSCを知って、これだ!と一気に謎が解けたような気持ちになりました。

 

 

それだけではありません。

「琥博くんがHSCでよかった」

琴子さんがそう思う理由のひとつには、

「子どもを通して自分を知ることができた」

という思いもありました。

小さい頃から、周りと違うという違和感があり、普通になりたい普通になりたいとずっと思っていたという琴子さんにとっては、HSCに出合って、自分の生まれ持った気質に気づいてあげられたことが、ご自身にとっても、琥博くんとの関係にとっても、大変ポジティブな変化につながったのです。

 

 

「大人になり、周りと違うという違和感も個性として捉え、自分のそういう部分を好きになることもできました。

でも、子育てとなると、癇癪に追い詰められていた頃や、HSCを知る前は、息子に、周りと同じになってほしいと、世間の多数派に当てはめようとしていました。

それがコントロールになっていました。

息子が不登校になり、HSCを知ってからは、息子を見習って「『こういうことはイヤ』、という本当の気持ちをしっかり聞くこと、『正直になること』を大事にするようになりました」

と琴子さん。

 

 

そんな琴子さんは昨年、ご自身の小さい頃のことを書き出すことをはじめました。

同時に、親御さんへの思いも書きました。

そうして、この半年くらい自分を見つめ直してきた琴子さんの心の中には、

「大切なことを教えてくれてありがとう、本当の自分に気づかせてくれてありがとう」

という、琥博くんへの感謝の気持ちがいっぱいだと言います。

琥博くんを理解し、受容し、肯定を重ねていくことは、琴子さんご自身の、自己理解、自己受容、自己肯定にもなっていっていたのですね。

実は、親自身が、自分自身や、幼く無力だった頃の自分(インナーチャイルド)の声を拾い、受け止めてあげることができなければ、子どもの気持ちを汲み取り、受け止めてあげることが困難な側面があります。

 

 

琴子さんから感じ取られる、

琥博くんへの眼差しや温かみ、

琥博くんのニーズへの対応、

「嫌だったこと」や「理不尽だったこと」をよく記憶していて、ことあるごとに激しく吐き出されていた、琥博くんの負の感情に対する理解や受容、

それらの姿が「本物」に感じられた理由のひとつには、琴子さんが、ご自身の過去や気持ちに、誠実に向き合おうと努めた姿勢があったのでした。

 

 

つづく

 

 

【補足】

この回では、琴子さんが、ご自身の子どもの頃を振り返り、書き出すということをされました。

このような取り組みは、子どもとどう関わるかといったことを学ぶよりも、もっと根本的な部分に重要な変化をもたらします。

子どもの問題と、親自身の過去の記憶が重なって、親自身の、子ども時代のトラウマ性・ストレス性の出来事の再演」が起こっていることに気づいたり、子どもを通して、無意識にそれを克服しようと頑張っていたことに気づく方もいらっしゃいます。

 

再演とは…過去において自分ではどうすることもできなかったトラウマ性・ストレス性の出来事を、現在という時間の中で、同じような状況に自分の身を置くことによって再現し、その状況を自分の力で乗り越えようとする無意識的な試みのことをいいます。

私たち大人が、子どもの頃のトラウマ性・ストレス性の出来事の再演が繰り返されていることに気づかない間は、過去のトラウマやストレスの対象となった場所や人物と置き換わるような場所や人物に、自ら近づこうとしたり、相手からの誘いを断れなかったりします。子どもにも同じことが言えるのですが、たとえば、親自身の過去のトラウマやストレスの対象が学校や先生にあった場合、上記のような親の心の中(無意識的な内容)を読み取った子どもが、自ら「学校に行く」という言葉を口にし、親の期待に沿うように行動しようとするということも見られます。

参考文献
『心的外傷と回復』〈増補版〉ジュディス・L・ハーマン/著(みすず書房)
『アダルト・チルドレンと家族…心のなかの子どもを癒す』斎藤 学/著(学陽書房)

 

この点について、拙著『HSCを守りたい』第6章「“克服させる”ことは、HSCにとって必要か」から抜粋して、お伝えしたいと思います。

 

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『何とか、“克服”させなければ』
これもHSCについての理解がなければ、何度となく頭をよぎる言葉です。

“克服”という言葉も、“慣れ”という言葉と同様に、目の前にそれ以外の選択肢がなく、自分の苦手なものと距離を取ることができない時に使われる言葉なのではないでしょうか。

中でも親自身の記憶の中に、自分が子どもだった頃の「学校に対する苦手意識」が存在している場合、現在直面している子どもの問題と過去の記憶が重なって、子どもの気持ちや立場で問題に向き合うことが難しくなる傾向があります。

そして子どもに対して「何とか学校に対する苦手意識を克服させよう」という方向に向かって頑張ってしまうことが多いのです。

実際に、学校に行くことを嫌がる(不登校の)HSCを持つ多くの親御さんに関わってきてわかってきたことがあります。それは、親御さんのどちらか、あるいは両方に、かなりの割合で、過去に学校に対しての違和感や、学校生活の中で苦しみや葛藤を抱えていたという経験があることです。

中でも、子ども時代に「学校に行きたくなかった」、「学校が嫌で嫌でたまらなかった」というようなつらい体験をしている場合が非常に多いのです。そして「学校に行かなかったら将来苦労する」という考えに支配されているケースが多いのです。

自分には学校に対して苦手意識が無いように思われていた方でも、子どもの不登校などの問題をきっかけにして、記憶の中から消し去られていたはずだった心の痛みが呼び起されることがあります。

例えば、つらい体験をした時の感情・感覚が呼び起こされたり、窒息感・動悸などの症状として現れたりすることがあるのです。
 
これは、心の奥に閉じ込めてきたネガティブなイメージや感情が、子どもの問題との関わりの中で呼び起こされることによるものです。

子どもの問題を通して、自分が子どもの頃にした体験とそれに伴う感情・感覚の再現が起こっているということを表しています。

親の記憶の中に、自分の過去の学校に対する苦手意識(ネガティブな思い)が存在している場合、親自身が子どもの学校に関わること、例えば、先生との交流、PTA活動や運動会などの行事に関わることなどが負担になっていることがあります。

その気持ちに蓋をして、見ないように感じないように心の中に押し込んでしまうと、行き場を無くしたネガティブな思いは、子どもへの干渉やコントロール、あるいは叱責という形で向けられやすくなるのです。

本当の意味で、親が子どもの気持ちを受け止めてあげられるためには、親自身が子どもの頃にさかのぼって、傷ついたまま取り残されている子どもの頃の自分の気持ちや感情・感覚を拾い上げながら受け止めていくことが必要です。

子どもの頃の自分の立場に立って、ひとつひとつその時の気持ちや感情・感覚を拾い上げながら理解していくことが、子どもの気持ちに寄り添い、子どもの目線まで下りて考えられるということにつながっていきます。

そして、子どもの気持ちに寄り添って考えられるようになることで、さらに、傷ついたまま取り残されていた子どもの頃の自分の気持ちにまで寄り添って考えられるようになり、それは結果的に自分自身を癒すことにつながっていく、という循環が生まれるのです。その意味でもとても重要なことです。

(拙著『HSCを守りたい』第6章「“克服させる”ことは、HSCにとって必要か」より抜粋)

斎藤 暁子(kokokaku)(「再演」に関する補足説明:斎藤 裕医師)