対談企画4回目は、敏感気質の息子さんの行き渋りや不登校のつらさを経験し、不登校セミナーやカウンセリング(インナーチャイルド・ワーク)、様々な本などから、新しい概念を取り入れられたことで選んだ生き方によって、とても楽になったとお話しして下った、Mさんがお相手です。

今年小学3年生になるMさんの息子さんは、発達障害との診断がなされています。

しかし、確実にそうかどうか、というのは判断が難しいという印象で、お伺いする限りはどちらかというとHSC?と感じられるところが多々あります。

なぜかと言うと、HSCのような敏感な子の中でも特に敏感さや感受性が強い子は、他の人にとってはささいと思えるようなことからも心理的ダメージを受けやすく、例えば母子分離のトラウマで愛着関係の傷を抱えると、発達障害様の症状が(反応)が起こることが指摘されているためです。

その選別は専門家でも難しく、誤診や混乱が生じていることもまた、指摘されています。

大事なことは、同じような子育てや母子分離をして大丈夫な子と、要注意な子、大丈夫でない子がいるということ。

みんながみんな大丈夫というわけではない、ということが伝われば有難いです。

私が専門に発信しているのは、『HSC』であり、発達障害については言及できる立場ではないので、その部分についての掲載を迷いましたが、いずれにしても今回お伺いした内容は、非常に多くの親御さんが共感され、参考になる、貴重なものと思いますので、長くなりますが、できるだけカットしないかたちで掲載いたします。

Mさんとインナーチャイルド

Mさんは、学校に行きたくないという息子さんのことがきっかけで、私のカウンセリングを受けられたママです。

当時Mさんは、息子さんの不登校がご自身の「インナーチャイルド」と関係しているのかもしれないという情報を、ある本から得ていて、その後拙著『ママ、怒らないで。』に出会い、私のインナーチャイルド・ワークを希望されたのでした。

MさんMさん

息子のことがなければインナーチャイルドについて知ることはなくて、きっかけはやっぱり息子でした。

悩んでいたので「何だろう何だろう」と、何が起こっているのか当時は分からなくて。

不登校というのはインナーチャイルドと関係があるというのを何かの本で読みました。 

でもインナーチャイルドを癒す方法について書いてある本は当時探せなかったんです。

カウンセリングを受けたいなと思っていたのですが、そういう機会がなくて。

そんな時家族に、『ママ怒らないで。』という本があるよと紹介してもらいました。

KokokakuKokokaku

そうだったのですね。

本を読んでもらえて良かったです

行き渋りや不登校はどのように?

KokokakuKokokaku

息子さんの行き渋りや不登校は、どのような様子だったのでしょうか

幼稚園
MさんMさん

最初は入園したての2歳の時でした。初めて私と離れて過ごす事に抵抗があったようで、全然行きたがらなくて。

制服の着替えからしても無理だったんですよね。

嫌がるから、私服でそのままバスに乗せて、幼稚園についてから先生に制服に着替えさせてもらっていました。

KokokakuKokokaku

その後は自然に馴染んでいったんですか?

MさんMさん

一応馴染んではいきましたね。

でも学年が変わったりすると、また行きたくないとなったり、泣いたり。

KokokakuKokokaku

では小学校に上がる時不安はありましたか?

MさんMさん

そうですね。

幼稚園で、行き渋りの一番激しい時が年長の時にあって、特に下の子を出産したあと3ヶ月後ぐらいの時が一番激しかったんです。

「行きたくない」って。

その時は、よくある産後の赤ちゃん返りかなと、あまり深く考えずに、嫌がる息子を何とか幼稚園に行かせてたという感じですね。

朝の登園は、「散歩しながら行こう」と言ったりとか、いろいろごまかしながらその当時は通わせていました。そうこうしているうちに幼稚園がまた好きになって、むしろ最後の方は自分から行きたいといった感じで朝早く自分から登園していてました。だけど、1年生になる時は、また環境も変わりますし、それが苦手と分かるので、やはり心配でした

KokokakuKokokaku

そうですよね。

入学を控えていた時期、どんな気持ちで過ごしていらっしゃいましたか?

小学校入学
MさんMさん

小学校入学前は小学校を決めるところから始まりました。

発達障害がある子どもたちは、小学校入学前に教育相談があります。 IQ をはかり、どこに向いてるか、普通学級なのか、知的の特別支援学級なのか、それとも情緒学級なのか、通級なのか、と、いろんな選択肢があって、当時は分からなかったのです。

情緒学級というのは自閉症など、発達障害全般の子が入るところ。

通級というのは普通学級に在籍しながら、週に一回療育のような感じで、1時間くらい他の学校に行きます。専門の先生と、対人関係などのやり取りをしながら、通級の先生と担任の先生と連絡を取って応答していく、というやりかたがありまして。

それで悩んだりして IQ を測ったのです。その当時6歳でしたが、以前よりも下がっていました。その時に、「知的の支援学級がおすすめですよ」という感じで助言をもらったのですが 、見学させてもらった時に、少し違うように感じたところがありました。そこで、もうひとつの情緒学級というクラスがある学校に行ったのです。

そこは学区外でちょっと遠くて。お友達はみんな学区内の学校に行くので、お友達がいない中に入学するのは不安でした。

KokokakuKokokaku

そうでしたか。

では、不安の中に入学式を迎えて学校生活が始まって、息子さんの学校に対しての反応やイメージというのはいかがでしたか?

MさんMさん

入学式も、普通に仲間に入ろうとしている感じがして。みんな初めての友達だけど、話しかけはしなくても、自分からそこに近づいて行くなど、努力が見られると言うか、頑張ってるな、という感じで。一週間くらいはそのような感じでした。

多分、1年生に対しても期待があったと思いますし、普通に過ごしてたのかな。

2週目くらいから、最初は「意地悪な子がいる」みたいな感じで。

その子は、息子に対して特別そうというわけではなく、みんなに対してそうなのですが……、そのような子が幼稚園にはおらず、初めて出会うタイプの子だったので、息子は戸惑ったようです。

MさんMさん

最初のきっかけはそれで、そうこうしているうちに学校に行きたくないという日が増えました。1日おきに行ったり、午後に行ったり、早めに迎えたり。ポツポツポツポツ休んだりしてるのが一学期でした。

それでもなんとか一応頑張って行っていましたが、夏休みが明けたら、「もう絶対行きたくない」という感じになって。

その頃には、休みたい理由が「ママと離れたくないから」と言っていました。

その頃、息子の母子分離不安があるのは、「母親である私の、小さい時の愛着の傷があるはず」と思い始めていましたが、どうしたらいいのかは分かりませんでした。

2学期が始まって2週間ぐらい休んでいたのですが、その後は中休みだけ行ったり、中休みから調子良かったら1~2時間授業を受けたりしていました。

でも、その時はまだ、下の子が一歳になったばっかりでしたし、通学も、徒歩やバスなどで一時間半位かかるんですね。

通常の時間帯での送り迎えだったら大丈夫なのですが、ランダムになってくると私の方がバテてしまって。

いつまで続くかわからないし・・・。

KokokakuKokokaku

それでは、2往復することもあったんですね。

MさんMさん

一年生の二学期の調子が悪い時はそのまま帰らずに近くで時間をつぶしたりしていました。その時は「何でこうなんだろう」という怒りが渦巻いてて、「 何で私だけこんなに大変な思いしなくてはいけないの?」という嫌な感情ばかりで……。

ちょっとやっていけないな、と思ったので、どうせ毎日違う時間に送り迎えになるんだったら、バスを使わない近く学校の方がいいなと思って、転校をお願いして体験入学させてみました。結果は大丈夫そうだったので、2学期の途中で、近くの学校の知的の特別支援学級に変わりました

転校
MさんMさん

知的の特別支援学級についてですが、私がイメージしてたものと、今の知的の特別支援学級は違っていて、何か良くて「なんだ、初めからここにすればよかった」といった心境でした。

普通学級で、学校に行きにくいという子も、入っていました。

ここのクラスでは、主に算数と国語を勉強して、その他の体育、図工、音楽などは普通学級へ参加する、「交流学級」といったかたちでした。

けれど、その「交流学級」が急に『嫌』という問題が出てきて。

転校した先の学校では、「みんなそういう決まりだから行くもの」みたいな感じで、給食も交流学級で食べるようになっていました。最初は息子も頑張って行っていたみたいなのですが、やっぱり普通学級は40人近くの大人数だし、担任の先生とも信頼関係を築けていない時期だったので、初めての環境や、慣れない人とのコミュニケーションが苦手な息子からは「普通学級に行くのは嫌だ」といった訴えが出てきていました。

そこで、交流学級に行きたくない件を、知的の特別支援学級の先生に伝えたのですが、

「△組に行くのが嫌だったら自分で担任の先生に言わなくちゃいけない」と言われました。

でも、息子が普通学級の担任の先生に自分の意見を言うのは難しいよな、と思って、改めて先生に伝えました。

MさんMさん

こういった要望をどこまでどこまで学校に言っていいのだろうか、と当時は迷っていましたね。

知的の特別支援学級は、学年もクラスも違う子どもたちが集うクラスなので、先生は各クラスの移動先を確認したり、普通学級の先生とやりとりをしたりと、とても忙しそうにされていたので、やはり息子にも、出来るなら先生の手を煩わせずに、自分でできることは自分でしてほしいという気持ちもありました。

「適応させないといけない」とか、「甘やかしみたいに思われてるだろうな」とも思ったりもしたのですが、最終的に息子の様子を見て「交流学級の先生に直接自分の意見を言うのはかなり苦しいことだ」分かったので、先生に「自分で普通学級の先生に伝えることは難しいです」と伝えました。

その当時カウンセリングを受けていた発達障害の先生からも、

「普通学級と知的の特別支援学級を行き来するのは、気持ちが落ち着かないかもしれないから、例えば3学期は支援学級だけにしますなど、保証をつけてあげるとどうですか?」

と言われていたので、それを担任の先生に伝えたりして、結局は交流学級に行かなくていいようになりました

KokokakuKokokaku

日々大変でしたね、本当に

MさんMさん

そうですね。

その当時は、「適応させなければならない」と思い、息子に無理をさせていたと思います。

KokokakuKokokaku

その適応しないといけない場所の、環境の問題ですよね。

その場所と息子さんの気質とのギャップが大きすぎるから、そこがつらかったなと思いますね、とても。

きっとこういうことで苦しんでいる方って多いでしょうね。

各学校の方針で、交流学級で毎日違うクラスに行かないといけないなど、ですね。

これは教育の現場で共通認識として、「集団や環境の変化が苦痛な子には、非常に適していないですよ」という認識が広がらないと変わらないですよね。

交流学級が無かったら学校へ行っていたか?

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Mさんがずっと付き添われたりして、息子さんの反応を見ていて、

例えばもし、「交流学級などに、行っても行かなくていい、行かないなら行かないでずっとここにいて良い」

という選択肢があれば、息子さんは「学校に行かない」と言わなかった可能性が高そうですか?

MさんMさん

それは分からないんですよね。

私もいろいろ過去のことを考えたりするんですけど、それだけじゃないかもしれないですよね。

いろんな本を読んでいて、息子の場合は、私自身が幼い頃の愛着の傷を残したまま子育てをしていたために、息子も愛着の傷を抱えることになり、ストレスを大きく捉えやすいところがあると思っています。

学校生活は楽しいこともありますが、他者との関わりで嫌なこともあります。

嫌なことがあったときに、自分の中で上手く折り合いがつかずにストレスを溜めていって「学校には行きたくない‼」となっていたのかなと思います。

また息子は敏感なところがあり、HSC に当てはまると思うのですが、 先生達の怒鳴り声も苦手なようです。

一緒に付き添ったりしているときに、他の生徒を怒鳴ったりしているのを見ていると、私まで体が硬くなって、教室の隅で息を殺しています。

一緒に連れてきている下の子も結構感じ取ってると言うか、誰かが怒られていると静かにしていますね。

息子はそういうのは見たくないという気持ちはあると思いますね。

怒られる事は避けるように行動するタイプなので、息子本人が怒られることは少ないんですけど、他の子がふざけすぎちゃったりとか、全然聞いてないとかで怒られるんですよね。

HSCと愛着の傷と発達障害

KokokakuKokokaku

HSCという概念についてなのですが、HSCのような敏感な子は、集団で過ごす園や学校など、気質に合わない環境や変化、イベントなどでは、いつもの実力が発揮できなかったり、集中力や落ち着きが無くなったりして、発達障害の症状に似た様子に見受けられることが多々あります。

それに、敏感さゆえに、親離れを含め、ささいと思われるようなことが心の傷(トラウマ)として残り、敏感性が高まる(過敏となる)ことがあります。つまり、防衛として見られるような反応が、発達障害と診断されているケースもあるようなのですが、息子さんはお母さんから見て発達障害であると確信するような感覚はありますか?

MさんMさん

それはちょっと分からないんですよね。

小さい頃はもっと個性が強く出ると思うんですけど、今は本人も、色んなものに適応してきちゃってて、家族間では困ることも少ないので、ちょっとよくわからないんです。

検査は2歳4歳7歳で受けています。7歳の時に、最後に受けた時は、療育の信頼している先生とリラックスした状態で受けているので、結果は信頼できるかなと思っていて。

凸凹があるんですよね。得意なところは得意だし不得意のところは不得意。

その点数の差があると発達障害の診断になるそうで。

そうなのかな~みたいな感じで。本人を見ていてそうかどうかというのは分からないんですよね。

急に学校に行かなくていいと言われても信じられない

KokokakuKokokaku

2年生の夏休みに私のカウンセリングを受けられたのでしたね。

MさんMさん

そうですね。その時にホリエモン(堀江貴文)さんの本(すべての教育は「洗脳」である~21世紀の脱・学校論~ (光文社新書))を教えてもらって。夏休みの終わりに「もう行きたくなければ行かなくていいよ」みたいな感じで、言ったことは言ったのですが。

2学期が始まって、最初はギャップがあったみたいで。別のストレスと言うんですかね。

退屈というストレス、みんなと遊べないとか、学校を休んだものの、何をしていいかわからず「退屈!」と叫んだり、家の中で暴れるみたいなのがありました。

不登校セミナーで聞いたのですが、親の考えが変わっても、子どもはすぐに信頼ができないと言うか。親は今まで行け行け言っていたのに、急に行かないでいいよと言われても、子どもが本当に腑に落ちるまでは時間差があるみたいで。

その時はやっぱり息子もそうだったんだろうなと思いました。

私が今まで、行かせるのに一生懸命だったのに、急に行かなくていいよって言っても最初は信頼してなかっただろうなと思いますし。

不登校セミナーでは、子どもがゆっくり休んで、その後活動しようと思う場所が学校だったら学校に行って良いし、違う場所でも良いし。行っても行かなくても良い、みたいな感じです

KokokakuKokokaku

それだと安心ですね。

ではその不登校セミナーとカウンセリング(セラピー)とホリエモンさんの本のいろんな情報がピタッと一致したんですね。

それで行かなくてもいいっていう選択肢が濃厚になって。一方で、そのことに信頼が持てるかどうかというのが、少し時間がかかったけれども、次第に伝わっていったという感じなのですね。

MさんMさん

そうです

心境は、楽!

KokokakuKokokaku

そのような決断をされて、今の心境というのはどうですか?

MさんMさん

心境は楽ですよね(笑)

KokokakuKokokaku

楽ですよね(笑)。こんなに楽でいいのかなというくらい楽ですよね

MさんMさん

楽です。不登校セミナーでも、実際に経験したという女の子が話をしてくれて、小学校、中学校、全然行かなくても、高校は単位制の高校に入って卒業して、〇〇の免許取りたいということで大学に入っていて、という話をしてくれて。

「小学校に行きたくない」となった時に、お母さんが「あぁそれなら休もうか」ということで、「家で過ごしてていいよ」という感じでやってくれた。だから、不登校に対して全くマイナスのイメージとか、自分は不登校だったから後ろめたいとか、そういうものはないと言っていて。「あ、やっぱり親の態度って大事だな、良い話聞いたな」と思いました。

そういう話は本などにもたくさん載っていて、小学校、中学校、行かずに、いきなり大検受けて学生になったという話もありますし。

私は進学して欲しいとは思っていないのです。

きっとどうにかなるだろうみたいな感じに思っていて。こういう道もある、みたいな感じで考えたりはしてるんです。

不登校セミナーの人も「今は偏差値とか全く関係なくて、実力と資格さえあれば生きていけるから」といった感じで言っていて、私もそうだなと思っています。

KokokakuKokokaku

ではこれからは、行くも行かないも、それは息子さんが決めることで、お勉強に関しても、必要だったら大検(高卒認定試験)も受けられるし、といった感じなのですね

親のインナーチャイルドが癒され親自身が支えられると、結果として子どもの自己肯定感が育つ

対談の後日、Mさんが、さらに思い出されたことがあって、その思いを綴った文章を、メールで送って下さいました。

以下、固有名詞の他は原文のまま掲載させていただきます。

※ご本人の許可を得ています。

MさんMさん

息子が学校に行かないことを受け入れられたのは、kokokakuさんからホリエモンさんの本を紹介してもらって、今まで信じていた学校や勉強に対する概念が変わったこともありますが、もう1つ自分の中で変わったことがあります。

kokokakuさんがブログで紹介されていた大河原 美以さんの著書「ちゃんと泣ける子に育てよう 親には子どもの感情を育てる義務がある」を読んで、子どもの感情を出させていいという事が分かり、息子との関係が楽になったから息子が学校に行かずに家で過ごすことを受け入れられたというのがあります。

それまでは息子が一歳くらいから大河原 美以さんの本に出会うまで、泣いたら泣き止ませるために一生懸命になったり、ぐずらせないように先回りして行動したり、ごまかしたり、うそをついたり、違和感を感じながらもそんな育児を続けていました。

二歳という早い年齢から幼稚園に通わせ始めたのは息子と一緒にいるのがとても苦しく感じられたからでした。

大河原 美以さんの本には、親も専門家に子ども時代の自分(インナーチャイルド)を癒され、親自身が支えられると子どものマイナスな感情も受け入れやすくなり、結果として子どもの自己肯定感が育つとありました。

その当時私はすでにkokokakuさんのカウンセリング中だったので本当に幸運でした。

息子が嫌がっている時期に学校を休ませずに行かせていた時は将来の心配もありましたが、息子と離れて過ごす方が楽だったという理由もありました。

でもそれも本当は大きな悩みでした。子どもからしたら親に拒否されたら何のために生まれたのか分からないですよね。

そんなときにkokokakuさんに出逢いカウンセリングで自分自身が癒やされることで本に書いてあるノウハウも理解しやすくトライ&エラーで実践出来ていると思います。

さいごに

今回の対談を含め、長い間息子さんの様子をお伺いしてきましたが、発達障害との診断はあっても、ご自宅での息子さんの様子や発言などには強い個性や意志が感じられ、またお母さんへの的を得た鋭い指摘をするなど、頼もしくもあり、果たして障害と呼べるものなのかどうか、私にもいまだに疑問です。

HSCの本にはよく、発達障害と診断されてはいるが、実の所はそうではない子がいるといったことが書かれていて、それに該当するのではないだろうか……と。

ただ恐らく、普通学級には合わないという点では、支援学級に在籍して、少しでもその子に合う方の環境に身を置くことは、大切な選択肢である場合もあります。

それでも学校という環境で、より敏感性が高まり(過敏となり)、つらい思いをする子の場合は、Mさんのような、これからの息子さんの健康な成長を信じて、家族間の信頼関係を築くという選択が適しているかもしれません。

家庭が安心基地としてしっかり機能することで、子どもさんの優れた面をグンと伸ばしてあげることが可能ですし、心が満たされた温かい人生を歩む土台をしっかり構築してあげられるのも健全な家庭でこそ成せる業である、と言えるのではないかと、改めて感じました。

Mさん、とてもとても貴重なお話、本当にありがとうございました。

新学期が始まりました。

環境の変化や新しい場所が苦手なHSCは、不安や緊張で耐えがたい苦痛を感じる時期。

それは気質によるもので、慣れや克服を要求されても、思い通りにコントロールできるものではありません。

HSCは変化のたびにその苦痛を味わわなければならず、またその苦痛は他の人には同じように感じることができないもの。

対応に迷った時は、ぜひご相談下さい。(個別相談

お話しをお伺いし、子どもさん、学校、身内の方、それぞれに、どのように働きかけ、どのような対応をしたら安心して過ごせるか、一緒に考え、お伝えすることができると思います。

さいごまでお読みくださりありがとうございました。