斎藤 暁子(Kokokaku)です。

今回は『HSC子育てラボ』対談企画①をお届けします。

この対談の他にもSNSを通じてアイデアを頂いたり、HSCあるあるやエピソードを頂いたり、

ブログで紹介・応援していただいたり・・・。

そのたびにアイデアが膨らみます。

心から感謝申し上げたいです!ありがとうございます。

順次記事にして情報をお届けさせていただきます。

今回対談したのは、著書『ママ、怒らないで。』の読者さんで、めーぐるとさん

めーぐるとさんには、とても敏感で感受性が高いHSCとしての、ご自身の子ども時代のことを中心にお話をお伺いしました。

子育てをしていると、中々うまく言語化されない子どもの気持ちやニーズを的確に把握するのが難しいことや、そのためどうしていいか判断や対応に迷うことがあります。

とても敏感で外の世界で辛いことが多いHSCだとなおさらです。

そんなHSCが、うまく言語化できないことを、おとなになった元HSCのめーぐるとさんから詳しく聴くことができましたので、今日はその内容をお届けします。

HSPのめーぐるとさん(元HSC)との対談

HSP(HSC)と出会って自分を責めなくなった

KokokakuKokokaku

よろしくお願いします。

めーぐるとさん

よろしくお願いします

KokokakuKokokaku

めーぐるとさんがHSPを知ったのはいつ頃でしたか?そしてHSPの概念と出会ってどうでしたか?

めーぐるとさん

2015年にスマホで探したサイトで見つけました。その後書籍を見つけて読みました。

私のことを書かれているという感じでした。

どの自己啓発本とか、そういうのに全然救われなかったりして、

でもやっと出会えたというのか、私これなのかな!?

という半信半疑ですけど、でも思い当たる部分がいっぱいあったので、むしろ私こういうのに該当するかも、と、診断名がつけられたかんじというか。

自分ずっと変だな、みんなと違うなと思っていたのが、人とは違う孤立感のようなもの、浮いている感の理由がわかって救われました。

その後もTwitterでも情報もらったりしてHSPの特質に自信を持っていいと思えるようになりました。

HSC・HSP特質を生かすために、悪くとらえないで。
今まで自分の感覚に自信が持てなかったけれど、自信を持っていいというのがわかるとちょっと楽しくなる
様子見したり距離を置くことに自分を責めなくなりました

自分の感覚に素直に従って良いってわかっただけで、すごい楽になってきてはいますねそれがわかるだけでもだいぶ生きやすい

KokokakuKokokaku

人と違うことで否定的に捉えられていた感覚が肯定されることで楽になられたのですね。

辛かった幼稚園時代 ~“孤立感”  “浮いている感”~
KokokakuKokokaku

孤立感、浮いている感というのはどの時期から感じていましたか?

めーぐるとさん

幼稚園くらいかな。集団生活に入って、人と人と出会って、私なんでこんなに幼稚園楽しめないんだろうって。行きたくなかったですね。

ぐずっていたと思うけど、幼稚園バスがきて。

友達と仲良くできなかったんです。

遊ぼうと声を掛けても仲間に入れてもらえなかったり。

一人でもくもく自分が好きなことに集中して取り組むのが好きで、絵を描いたり、色並べたり、一人遊びが好きでした

KokokakuKokokaku

仲間に入れてもらえないから一人遊びというのではなく自然にですか?

めーぐるとさん

そうですね。

パートナーを組むというのがあって、2歳上のお姉ちゃんと組まされるんですけど、そのペア組んだお姉ちゃんと仲良くできなくて、また私と組んだ子が私のことあまり好きじゃなくて、別の子と一緒に歩いてしまったりして、私放置されてるみたいな。

遠足とか一緒に並んで歩く時も、この子とは嫌みたいな感じで言って、ポツンといったかんじだったような。

言葉にしないでも何か私とはあんまり一緒にいたくないのね、みたいな、その時は言葉にできないんですけど。

私が一番上になった時は、下の子とうんと仲良くやろうってなりますよね

KokokakuKokokaku

冷たくされて辛い気持ちわかるだけにね、切ないですよね。
先生は、そういうのはわかってるのでしょうか?

めーぐるとさん

私あまりおしゃべりができなくて、場面緘黙みたいな感じの時があったみたいで、年中の時に担任になった先生が、おしゃべりできるように何回も何回もやったけれど、その時もあまりよく覚えてなくて、一生懸命だったなくらいの印象でしかなくて、ちょっと面倒だったかも。

お家に帰ったらよくしゃべるけど、幼稚園では喋れなかったですね。

だから友達つくれないし

KokokakuKokokaku

それはHSCによく見られる特徴ですね。安心できない場所や相手とのコミュニケーションはうまくできないけど、家ではよくおしゃべりする

めーぐるとさん

はい。男の子とかもいじわるな子が多くてしょっちゅう泣いていましたね。

みんな楽しそうにしてるけど全然楽しくなかった。すごく辛かった

KokokakuKokokaku

辛かった、ですか・・・

めーぐるとさん

何で幼稚園に行かないといけないのかもわからないし、お母さんおうちにいるのになんで私通わなきゃいけないの?って

言葉にうまくできない
KokokakuKokokaku

そういうことはお母さんとお話は?

めーぐるとさん

言葉にうまくできないんですよ。行きたくないとは言ったと思うけれど、具体的には言葉にできなかった。当時は。今だからそう思ってたんだよね、といったかんじなんですけど

KokokakuKokokaku

今だったら選択肢って自分で選べるけど、この当時ってわからないですものね。

親も周りみんなも、この年になったら幼稚園にいくのが当たり前って思ってて

めーぐるとさん

思ってましたね

KokokakuKokokaku

やっぱりめーぐるとさんもそれが当たり前で行かなくちゃいけないものだって、行きたくないと思っても行かないといけないんだろうなぁというのが辛かったですか?

めーぐるとさん

辛かったですね~

KokokakuKokokaku

言えなかったんですよね。だから辛い。

めーぐるとさん

言えなかったです。

幼稚園自体は、人とのやりとりは苦手なんだけど、何かに取り組む、作る、刺しゅうや絵を描いたり、そういう作業みたいな一人でコツコツやってみたり取り組むのは楽しいからできるんです。でもみんなで協力してやるのはつまづいていたと思います。泣いてしまったり、楽しくないな、みたいな。

かばんにシールを貼っていたんだけど、通園のバスの中で後ろの子に剥がされたんですよね。それに対しても抗議できない。だまって。

クスクス後ろで笑ってカリカリなんかやってるのわかるのに、ムカつくと思いながらも何も言えない。

貼って一日足らずでびりびりにされましたね

KokokakuKokokaku

こういう子どもの世界であってることって大人は知らないですよね

めーぐるとさん

子どもあるあるみたいに捉えられているかもしれないけど、やられた側は、今でも根に持ってるんですよ、許せない。今話してて思い出しました。今吐き出せて良かったかもしれない。あれは嫌だったな

納得がいくまでコミュニケーションをとってほしい
KokokakuKokokaku

こういうことが起こってて、どうして学校行きたくないの?幼稚園行きたくないの?って大人は聞くんだけど、こういうところが伝わらないんですよね、中々

めーぐるとさん

子どもも、このような体験を言葉にできる子とできない子がいるんですよ。

ただ嫌だった。でも何が嫌だったのとなると、だまってしまう。

また親もちゃんと話なさいと急かすものだから余計に混乱してくるというか。

KokokakuKokokaku

嫌なことされたらちゃんと嫌と言わないと、って言われても、どうしてもその時できないって現実もありますしね。

そういう時、お母さんがカウンセラー役になって、こういうことかな?という材料を提供してくれることがあったら良かったですか?

めーぐるとさん

良かったですね。今言った内容はつまりこういうこと?みたいな

KokokakuKokokaku

言語化してもらえたらいいんですよね

めーぐるとさん

言語化とか、絵に描いてもいいし、文字にしてもいいし、本人がわかりやすいかんじでコミュニケーションを。

KokokakuKokokaku

納得いくまで向き合ってほしいということですね。

めーぐるとさん

そうそう。

お母さんは話は理解してくれてそうなんだけど、このくらいの感覚だったら大丈夫さ、みたいなそんなかんじなんですよ。

今だったら、私はそうは思わないけど、って言えるけど、当時はおかあさんの価値観や感じ方、お母さんの許容できる範囲と私の今日できる範囲が違うから、お母さんが大丈夫だったら頑張ってもいいのかなってなっちゃう。

お母さんがそこでつまづいたらだめだよ、行きたくないって言ったらだめだよ、友達みんなと仲良くしなきゃね、と言われると、そうしないといけないのかな、でもな・・・みたいな。

理解してくれてたかというと・・・?

KokokakuKokokaku

お母さんに言われるとお母さんの考えに寄っちゃうということですね

めーぐるとさん

お母さんがそういうんだったら、という感じで。

お母さんに認められないと、という感じもあったのかもしれないですね。

お母さんが嫌な顔したらあれかな、はいじゃあ頑張りますみたいなかんじだったかもしれないですね。

HSCにとっての必要な環境(配慮)
KokokakuKokokaku

こういうのやりたくない、行きたくない、と子どもが言っても、大人が思う着地点というのはどうしても、結局はやらないといけない、行かないといけない、というところにあるじゃないですか。何とかそこに適応しないとって

めーぐるとさん

うんうん。そうしたら、まともに子どものネガティブな気持ちを聞いても、助けてあげられないと思うんですよね。

本当は休憩させたり、やらなくていいって選択肢があってほしいのが、HSCの子だと思うんですけど

KokokakuKokokaku

大人が怖いのは、休むことを許したら、それがずっと続くんじゃないかと思うことなんですよね。

休みたいって言って休んだら、『ずっと休みたい』になっちゃいます?

めーぐるとさん

そうですね。なりますね(笑)

でも行くときは行く、行きたくない日は行かない、という選択が許されていたら変わってたと思いますね。

当時は行かないというのが許されてなかったですよね。時代背景もあるかもしれないけど。

KokokakuKokokaku

その後小学校に上がるわけですけど、小学校でも行く日行かない日、選択出来たら良かったですか?

めーぐるとさん

そうですね。行きたいか、行きたくないか。でも辞めるって選択肢は全くなくて。義務というか、絶対、辞めることができないって…重い。

適応しなければと無理することで強められる過敏性
KokokakuKokokaku

幼稚園も学校も将来社会に適応し、社会に貢献する人物になるために幼稚園から集団生活に慣れて、小学校、中学校と進学するわけなんですよね。

でもここで無理させられた結果として、過敏性って強まってしまいますよね。

そして合わない場所も克服しないといけないっていうのが付きまとう。

それが大人になっても付きまとうんですよね。

めーぐるとさん

はい。過剰に適応しなきゃと。どんな人にも良い顔しなきゃって、嫌われたくないから。人の顔色やしぐさ、言葉に敏感に反応してしまって何も言えずに自分を押し殺して苦しかったですね

HSCだった自分に必要だったっと思う接し方や養育環境とは
KokokakuKokokaku

HSCである子どものころのご自身には、どのような接し方や養育環境が必要だったって、気持ちやニーズがありますか?

それが今のHSC子育てに関わる方々のヒントになると思うので

めーぐるとさん

自分の言いたいことを吐き出す練習をさせてほしかったです。

言語化するのが難しいから、どんな方法であっても自分を主張する、泣きたい時は泣く、感情を素直に吐き出す練習

KokokakuKokokaku

言語化だけでなく感情も、ですね

めーぐるとさん

泣くときは泣いて良いんだよ、怒っていいんだよ、落ち込んだ時は落ち込んでもいいし、自分がどんな体験をしてどう思って、どうしたいのかとか、ニーズに気づけるように言語化させるようなスキルを育てるようなことがあったら違ってたでしょう

KokokakuKokokaku

そうですね、それはたしかにHSCの気質やその気質から起こる反応がどういうものかわかって、ありのままを肯定してもらわないと、育ちにくいスキルですね。

ブログやTwitterで発信する意味
KokokakuKokokaku

Twitterやブログを拝見していると、今のめーぐるとさんは、考えや気持ちをストレートに表現することができてらっしゃるように感じますが、それは表現していくうちに身に着いたのでしょうか

めーぐるとさん

Twitterで共感、気づき、情報もらって、自分が楽な方に行っていいって思えたのはありますね。あと本を読んだのも大きいです

KokokakuKokokaku

共感、気づき、情報が、めーぐるとさんの気質や感覚を肯定するものだったのが大きいのですね。
ご自身がTwitterやブログで発信することは、自分のため以外に何かありますか?

めーぐるとさん

自分が本や漫画に救われたように、自分とちょっと似てるような同じような境遇にいる人がもしかしているんだったら、私が救われたように、誰かの目に留まってちょっとでも、大丈夫私はこれでいいんだ、私は悪くないって思ってもらえたら嬉しいですね。
救うっていうのは偽善がましいんですけど、自分も色んな人のつぶやきとかブログ読んで救われてきてるから。
楽な方にシフトチェンジできるような、そんなきっかけになたら嬉しいですね

KokokakuKokokaku

本当にそうですね。

お母さんに話を聞いてほしい
KokokakuKokokaku

子育てしていて中々わからないことって、子どもの言葉にならない声なのですが、

今大人になって言葉できるようになっためーぐるとさんが、それをストレートに言語化した時、子どもの時に何を感じ、どのようなニーズがあったかということを聴けたらなと思うのですが

めーぐるとさん

常に話を聞いてもらいたい。会話です。

笑って楽しそうにしていても、実はそうでない時もあるし

KokokakuKokokaku

笑って楽しそうにしておくのがお母さんのためだったりしますか?

めーぐるとさん

あるかもしれないですね。学校で楽しそうに過ごしてるか過ごしてないか、やっぱりお母さんも気になるみたいで、ムスッとした表情を自分がしていたら、ちょっと心配になっちゃうみたいで。

どんな様子でも、楽しそうに過ごしてなくてもあなたはそれでいいんだよというのを示してもらえると助かる。

あなたが楽しめていたら私は嬉しいけど、楽しめてなかったら私は嫌となると子どもは苦しいかな。

学校でどんなふうにすごしていても、話を聞いて、話の内容がどうであれ、否定はしないで責めたりしないでねぎらってあげる声かけがあるだけでも全然ちがうかなと。

子どもに嫌だな変だなとか思うことがあったら、話を聞いてほしい。
時間がかかってでも具体的にどんなかんじのことか聞いてほしいですね。

選んでいい、それで良い、というのが標準になると良い
KokokakuKokokaku

HSCで学校が辛い子がたくさんいるのですが、幼稚園、小学校、中学、高校と、いかなければよかったと思うことがあるかどうか、お伺いできますか?

めーぐるとさん

行かないって生活もあるんだったら、そういう選択もしたかったって思いますね。

自分からそういうしがらみみたいな場所にいかなくても、別の場所があるんだったらそこに行ってたかもしれないし、もしそういう選択肢が置かれていたらどんなによかったかというのは最近思うんですよ。

一人でいて良いって、そういうスタンスであっても良いという場所があって自由に過ごせるところとかがあったら。

KokokakuKokokaku

そういう選択肢に対してみんながフラットだったら良いんですよね。

めーぐるとさん

良いも悪いもなくて、あぁ、この人はこっちを選ぶんだね、みたいな。

選んだことに対していいよ、というのがあればいいんですよね

KokokakuKokokaku

世間のそれがなければどうしても、うちの子は適応できないって、どうしてもネガティブな捉え方になってしまうので、それが子どもに伝わっちゃうから選択肢がなくなってくるんですよね

めーぐるとさん

親を責めてしまいますよね。こういう選択肢があったら良かったのにうちの親はって

KokokakuKokokaku

私はけっこう本気でそこにどれだけ近づけるかなって、目指したいんですよ。世の中が変わること。そのためにも悩んでいる当事者だけじゃ足りないと思うんです

めーぐるとさん

先生たちも大変だとは思うんですけど、やっぱりそういう子がいて良いんだ、いるのが自然なんだという価値観があると…。

先生たちにも、こういう子がいるのが自然なんだという、どんな選択をしてもその子に合ってて。

なんでも活発ではつらつとする子が良いとは限らないって。

甘えとかわがままだとか言われない世の中になればいいと思ってて、

甘えじゃないし、過保護じゃないし、その子に合った特性なのだからこれは

HSCの子が静かに過ごせる空間があったらいいですね。図書館みたいな空間に近いかな。

設けてもらえたら…逃げ場所

グループ学習というのもいらないんじゃないかなと思います。

KokokakuKokokaku

HSCがHSCらしく過ごせるような、選ぶことを尊重してもらえる環境が整うといいですね。

めーぐるとさん、HSC子育てのヒントが満載でした。

有意義なお話をありがとうございました!

さいごに

いかがでしたでしょうか。

HSC子育ては、社会に適応した軸ではなく、HSCの子の感覚に軸を置くかどうかでネガティブに作用するか、ポジティブに作用するかが変わります。

めーぐるとさんのお話から、

『会話(コミュニケーション)』

『どんな感情や態度でも良しとされること』

『選択肢が与えられること』

『学校では逃げ場所、HSCへの理解、配慮が必要だということ』

これらの大切さが切実に感じられました。

めーぐるとさんはこれまでアメブロにブログを開設されていましたが、

今回の対談をきっかけに、『はてなブログ』に新たなブログを開設されました。

できたてほやほやのブログはこちらです ↓

HSPであるご自身と向き合ってきたこれまでや、今、そして変化していく姿がここに綴られていくと思います。

さいごまでお読み下さりありがとうございました。