『HSC子育てラボ』へのご訪問ありがとうございます。

HSCについての認知度はまだまだ低いのが現状ですが、それでも少しずつ拡がりが見られますね。

このサイトをご覧下さり、コメントやお問い合わせ、メッセージをいただくことも増え、励みになります。ありがとうございます。

ひとことにHSCといっても、タイプも敏感度も多様なのですが、このサイトに深く関心を持って下さる方の子どもさんの多くは敏感度が高い方なのではないかと思います。

HSCの特徴=個性

このサイトだけでなく、私の個人ブログ(心理カウンセラーKokokakuのこころ育てブログ)にも8歳になるHSCの息子のことを書いていますが、幼稚園を約3か月でやめる選択をしたこと、小学校にも入学しなかったことはご存知でしょうか。

私が息子の幼稚園に付き添っていた当時、まだHSCという概念の存在を知りませんでした。

ですが、

感受性がとにかく豊か

敏感で繊細で傷つきやすい

小さなことを気にする

とても慎重

とにかく競争を嫌う

とにかく干渉・指示(やらされる)を嫌う

といったHSCらしい特徴は、息子の個性として見ていて、個性だから押しつぶしてしまわないように尊重して育てることを夫婦で大事にしていました。

HSCの子の苦痛を感じる

さらに、幼稚園に“慣れるまで”という約束で、私も一緒に通園したことで、

他の園や小学校との交流、健診などで見せる“苦しそうな”表情や姿から、

新しい場所、人

急な変化

移動

行事

先のスケジュールが見えないこと

などがものすごく苦痛であることもわかっていきました。

できない、無理!

そういう気持ちを表現することも、HSCはあまりできません。

共感性が高く、先生(大人)の意向や期待を感じ取り、場を乱さない、迷惑をかけきれないのもHSCの特徴だからです。

それがわかっていたので、本来本人が表現できたらいいことなのだけど、息子と話し合って、慣れるまでは私が先生に代弁することにしていました。

するとどうでしょう。

ひとつひとつニーズを伝える時にどれほど勇気が必要か。

うるさい、面倒くさいと思われるだろうな。

過保護だと思われるだろうな。

先生、嫌だろうな・・・と気が重いわけです。

これがHSCの子の持つジレンマや苦しみに直結していることがおわかりいただけるでしょうか。

実際にそれによって否定的な反応や気を感じることで、自己否定感は増幅してしまうのです。

HSCの子を育てるお母さんが、先生や周囲の大人の人たちにHSCについて認識してほしいと思うのは、こういうところにもありますよね。

HSCであることはネガティブか?

集団に揉まれながらそのうち慣れていくものだ。

普通はそう考えるのですが、HSCの場合は、慣れるのに非常に時間を要したり、

せっかく慣れてもまた新しい環境に変わったら振り出しに戻ったり、

そもそも*馴化(じゅんか)が見られず苦痛なままだったり、

社会や教育のシステムは、HSCにとって、とても不利に働くのです。

(*【馴化】-同じ刺激を繰り返し感じているうちに、その刺激に対する反応が徐々に薄れていくこと)

息子の場合も、ようやく慣れて楽しくなった園生活でしたが、幼稚園と小学校が合同となっている運動会の練習・本番という行事によって、希望が失われてしまいました。

HSCの中には、目の前の状況から、素早くその意味を感じ取ったり、先のことまで読み取ったりする子がいます。

息子の場合、「学校の決まりには絶対に従わなければならない、従わなければ我儘と取られる」という現実を突きつけられた体験から、選択肢のないこの環境の中で、小学校も適応していかなければならないという先のことがはっきりとわかってしまったところがあって希望を失ってしまったのでした。

笑顔や明るさが消え、覇気を失くした息子を前に、子育てとは? 学校とは? 教育とは? 生きるとは?・・・と考えさせられました。

運動会や発表会、様々な行事は園や学校につきもの。

それがどんなに苦手でも、周りのすべての大人が、園や学校は行かなければならないものと信じて疑わなければ、子どもは選択肢を持てません。

その子なりにサバイバル・スキルを身につけ、何とかやり過ごす子もいれば、

苦痛に耐えながら、傷が上塗りされ、トラウマを抱えていく子もいます。

それは、先生やクラスメイトなど、運にも左右されます。

このように、刺激に対する反応や馴化はそれぞれ異なりますが、目の前の環境に適応していく中で性格は変わっても、生まれ持った気質は変わりません。

気質も変わらないのだから、特に馴化しない場合はやっぱり不利に働くことが多く、

ダメージが回復しないまま傷が重ねられていくことで、大人になっても生きづらさや苦しみ、問題を引きずってしまうのです。

これは、ネガティブに捉えられるかもしれません。

むしろ、いったんしっかりとネガティブに捉えた方がいいのではないかとさえ思います。

社会のシステムが、HSCという概念が存在しないことが前提でつくられているからです。

HSCに多い、学校に適応しにくい16の特徴

  1. 集団に合わせることよりも、自分のペースで思索・行動することを好みます。
  2. 観察されたり、評価されたり、急かされたり、競争させられたりすることを嫌う傾向にあります。
  3. 外向型の子どもたち向けにつくられている学校で、求められることを苦手に感じることが多く、人と比較したり、うまくいかなかったりした場合に自信を失いがちです。
  4. 人の集まる場所や騒がしいところが苦手です。誰かの大声や、誰かが怒鳴る声を耳にしたり、誰かが叱られているシーンを目にしたりするだけでつらいと言います。
  5. 1対1で話をするのを好みます。大勢の前でスピーチをすることや、大勢の人と会話をすることが苦手な傾向にあります。
  6. 親友がクラスの中に1人でもいると安心ですが、クラス替えで親友と離れなければならなくなったりすると、憂うつになってしまいます。
  7. 物事を始めたり、人の輪に加わったりするなど、行動を起こすのにも時間がかかります。
    これは目の前の状況をじっくりと観察し、情報を深く処理(大丈夫かどうか確認)してから行動するためです。
  8. ちょっとしたことを気にしたり、刺激を受けすぎて疲れやすく、圧倒されたりすると、落着きがなくなったり、言うことを聞けなくなったり、物事がうまくできなかったりします。恥ずかしさや刺激が多すぎて不安を感じる状況や環境では、冷静さや自制心を失って、その子が持っている本来の良さや力が発揮できなくなるのです。
  9. 想定外のことや突発的な出来事に対してパニックになってしまうことがあります。
  10. 自分と他人との間を隔てる「境界」が薄いことが多く、他人のネガティブな気持ちや感情の影響を受けやすい傾向にあります。例えば、他人の気分に影響されて、動揺したり、悲しくなって元気がなくなったりするなど。
  11. 安心できていない人に、急に話しかけられたり、頭をなでられたり、顔や体を触られたり、抱きつかれたりすることを嫌がります。
  12. 嫌だと思っても、なかなか「No」が言えません。支配的な人や、あなたのためになると言って受け入れさせるような関わり方をしてくる人には特に、です。
  13. 先生がどのような人かの影響は大きいです。相性が良くない場合は、地獄だと言います。
  14. 子ども扱いにする人や権威を示す人、権力をふりかざす人が極端に苦手です。
  15. 自分の気質に合わないことに対して、ストレス反応(様々な形での行動や症状としての反応…HSCの場合「落着きがなくなる」「固まる」「泣きやすい」「言葉遣いや態度が乱暴になる」「すぐにカッとなる」、「発熱」「頭痛」「吐き気」「腹痛」「じんましん」など)が出やすい傾向にあります。
  16. 細かいことに気がついたり、些細な刺激にも敏感に反応したり、過剰に刺激や情報を受け止めたりするため、学校や職場での環境や人間関係から強い「ストレス」を感じてしまい、不適応を起こしやすい、 また、人の些細な言葉や態度に傷つきやすく、小さな出来事でも「トラウマ」となりやすいところがあります。

HSCの気質がいかされる環境選択の基準は?

だからこそ、園や学校という決められた場所のみに限定せず、本当にこの子に合った居場所(環境)、学習方法といった“育ち方”がないか、アンテナを立てて探してみると、意外な気づきがあるのではないかと思います。

アンテナは、HSCの気質が尊重され、いかされる、自由で希望のある方法であるかどうかに向けて周波数を合わせるイメージで。

わが家の場合は、それがホームエデュケーションという選択だったというわけです。

この選択に後悔や不安、ネガティビティはありません。

自由で主体的で、希望に溢れているのです。

選択肢は多ければ多いほど安心です。

本当に望むものを選んでいい、将来のことではなく、今何が必要か、それは子ども自身が感覚的にわかっている、そう信じてあげられることができるといいなと思います。

《参考》(弁護士さんの解説で記載されたものです)

義務教育の「義務」は、子どもの学ぶ権利を保障するおとなの側の義務の意味であって、子どもが学校に行く義務ではありません。親の就学義務も、子どもの学ぶ権利を親として援助する義務であり、登校を強制することが子どもの心を傷つけるような場合に、むりやり学校へ行かせる義務ではありません。(p47)                                         

子どもの学ぶ権利は、学ぶ場と学ぶ方法を選択する自由を含んでいます。子どもにとって何が最善であるかを、親が子どもとともに考えて、選択すべきです。(p51)

子どもは家庭でじゅうぶん育つ』より引用