大人の判断や対応が自身に与える悪影響にも敏感に反応し、判断や対応が適切でないと、症状や行動を通してさまざまなサインを出しやすいHSC。
そこには、「重んじられるべき『個人の尊厳』が軽んじられている」「『心身の健康的な成長』が阻害されている」「『人格の完成』が果たせない」という重要な意味が含まれています。
そこで、保護者が子どものサインとその意味に気づき、心の傷を深めてしまうことから子どもを守る判断・対応をしようとしたとき、守ろうとしても守れないケースに直面してきました。
子どもの尊厳、健康的な心身の成長、健全な人格の完成、を奪っていることに気づかず、大人や支援の立場から「いいこと」「正しいこと」「この子のため」といった信条で、そちら側の “当たり前” “普通” が押しつけられる構図です。
少数派に属し、弱い立場のHSCが、当たり前のように人権を奪われる実態。
親が子どもを守ろうとしても要望が聞き入れられない、尊厳が踏みにじられ、心の傷や封じこめざるを得なかった負の感情を抱えさせられている子どもの苦しみは、誰も責任を取らない実態。
子どもをどのようにして守ることができるのか。
その打開策はあるのか。
この記事ではそれらについて提示していきたいと思います。
斎藤 裕 (医師)/ 斎藤 暁子(心理カウンセラー)
はじめに
子どもが不適応を起こすとき、要因は複合的であり、きっかけも、友だち関係や先生、学習面、挫折体験、体調不良などさまざまです。
この記事では、表に見えているきっかけや要因の背後に、下記が存在するケースに焦点を合わせています。
①学校(教育環境・システム)が気質(生まれつき備わった性質)に合わない
②愛着関係の傷(分離不安障害を含む)、愛着形成不全
③長期的・反復的な強いストレス、トラウマ (心の傷:心的外傷)
これらが存在する場合、不適応の状態は長く強く続きやすい傾向が見られます。
その状態で無理に登校を続けたり、登校しなければならないプレッシャー、登校できないことへの罪悪感などが重なったりすると、状態が悪化することは想像に難くありません。
引き続きストレスやトラウマになるような状況にさらされることによって情動を司る「扁桃体」という脳の器官の興奮が収まらなくなります。
神経は過敏になり、あらゆるものが苦痛をもたらす刺激となります。
そのため、次第に自宅では、易刺激的となって、情緒不安定、癇癪、言葉遣いや態度が乱暴になる、自暴自棄、自傷行為、無理な要求・命令などが繰り返されるようになります。
また、赤ちゃん返りも多くに共通します。
私が不登校に関する相談を受けるのは、ほとんどが拙著『HSCを守りたい』や当サイトの記事を読まれてカウンセリングを受けようと思われた方ばかりなので、不登校の様相も、背景に①~③が存在している点も、共通していることがほとんど。
そこでこの記事は、以下の多くに当てはまると思われる方を対象に書いています。
- 不登校になった子どもがHSCなのではないかと思う
- 発達検査を受けて「自閉スペクトラム症」と診断されたが、腑に落ちないところがある
- 子どもが心に負った傷を深めていて回復が必要だと思う
- 分離不安障害が疑われる
- 子どもは「学校に戻りたくない、辞めたい」と言っている
(以下は、子どもの気持ちを最優先に尊重し、「学校に戻ることを前提としない方針」の人)
- 周りからの心ない言葉や登校圧力、望まない説得・支援を受けている
- 子どもにとっても、保護者自身にとっても、最善の関わり方を知って、家庭を安心して過ごすことができる場所にしたい
それではここから、「子ども(HSC)を守る」とはどういうことなのか、深く見ていきたいと思います。
まずは、日本におけるアダルト・チルドレン(Adult Children:以下AC)概念の第一人者、信田さよ子氏の言葉を引用させていただきます。
第1部 「何」から子どもを守る必要があるのか
昭和二〇年、三〇年代は、子どもを養い、大学まで出してやること、ちゃんと結婚させることが親としての責務をまっとうすることだったのです。
しかし、二一世紀の親にとってはまったく別の課題が与えられています。子どもを飢えや貧困から守るという第一義の義務が後景に退いてしまった結果、もっと別のものから子どもを守るという役割が生じたのです。
それは、社会の常識や規範、「ふつうであること」の強制から子どもを守ることです。
ふつうであることから逸脱しないようにひたすら調教し教導していく親なのか、それとも逸脱したわが子であっても、その子を守るのは親である自分でしかないと覚悟する親か、そのいずれかが厳しく問われる時代になったのです。
つまり子どもを守るためには、世界を敵にまわせる覚悟のある親かどうかを問われる時代になったともいえます。
それを誰よりも見分けているのは、ほかならぬ子どもたちです。『子どもの生きづらさと親子関係―アダルト・チルドレンの視点から』(子育てと健康シリーズ)/大月書店 P121より抜粋
ACとは、子ども時代に子ども(本来のその子)らしく生きることを剥奪されたことが原因で、「生きる上での支障や生きづらさ」を抱えている大人のことを指す言葉です。
そこで、上に掲載した抜粋は、ACを生み出さないためのものとして、非常に重要な言葉だと感じていました。
ただしかし、これをHSCに当てはめたとき、果たして、親がHSCを守るためにはどうなのか。
社会の常識や規範、「ふつうであること」の *同調圧力からHSCを守るには、親の力だけで十分なのだろうか。
それが問われるような困難なケースに直面したとき、出てくる答えは、考えるまでもなく、「NO」でした。
*同調圧力……集団において、少数意見を持つ人に対して、周囲の多くの人と同じように考え行動するよう、暗黙のうちに強制すること。
親の力だけでは守れないケースを生む社会の在り方
社会の常識や規範、「ふつうであること」の同調圧力からHSCを守るには、親の力だけで十分なのだろうか。
その問いの答えが「NO」だったのは、それが問われるような困難なケースがあるというだけではなく、HSCの本質を次のように捉えており、それらが受け入れられにくい・肯定されにくい社会だからです。
・本来HSCの気質は、人から管理(コントロール)されたり、やりたくないことをやらされたり、押しつけられたりするなど、その子の“独自性”が阻まれることを強烈に嫌がるほどの「個性」である。
・HSCは、外向型の人間を基準にした、集団や幅広く交友関係をつくることに価値を置くコミュニケーションとは異なり、自分が交流を深めたい相手を選び、かつその相手と深いところでつながって喜びを感じられるようなコミュニケーションに生きがいを見出す傾向がある。
これらはいかに認められ、守られるべき貴重な個性であり特性・特徴でしょうか。
それに対して、社会や組織、集団の場で、これらの特性・特徴は歓迎されるでしょうか?
少なくとも、不登校になったHSCや、自身もHSCに当てはまっていたと感じている大人の多くには、これらの特性・特徴を前面に出してしまうと、「わがまま」「こらえ性がない」「困った子」などと捉えられたり、否定的な反応・言葉を受けたりしてしまう、そのような経験や感覚が記憶に刻み込まれています。
このような特性・特徴が理解され、本質を圧し潰されることのない環境や関係の中で育つことができれば、本来の個性的な魅力にあふれ、その子らしさが発揮され、自己肯定感や自己価値が削がれることなどありません。
否定されることなど、ひとつもありません。
生きづらさを抱えることもないはずです。
しかし、世の中は多数派の人たちの在り方を基準につくられています。
多数派とは、集団をつくること、組織に属することを好みがちで、幅広く他人と関わって生活しようとする性質や傾向を持った人、外向性・社交性に価値を求める性質や傾向を持った人のこと。
つまり、外向型を理想とする社会になっているのです。
学校も同じです。
外向型の子どもたち向けにつくられている多くの学校で、少数派であるHSCは生きづらさを抱えながら生活しているのです。
HSCにとって、学校でどのようなことがつらいのかを感じ取るための確認
下記のような『HSCに多い、学校に適応しにくい特徴』を見てみるといかがでしょうか。
HSCにとって、どのようなことがつらいのかということ、それらは言葉にするのが難しいものであることがおわかりいただけるのではないかと思います。
さらに、当てはまる項目によって受けている苦痛がどれほど強いのか、
そして、当てはまる項目が多ければ多いほど、どれだけの自尊感情や自己肯定感、自己価値を削がれているのか、その感覚も感じ取ってもらえたらと思います。
『HSCを守りたい』P73-75より
② 人の集まる場所や騒がしいところが苦手です。誰かの大声や、誰かが怒鳴る声を耳にする、誰かが叱られているシーンを目にするだけでつらいと言います。
③ 物事を始める、人の輪に加わるなどの、行動を起こすのにも時間がかかります。これは目の前の状況をじっくりと観察し、情報を深く処理(大丈夫かどうか確認)してから行動するためです。
④ 想定外のことや突発的な出来事に対してパニックになってしまうことがあります。
⑤ 嫌だと思ってもなかなか「No」が言えません。支配的な人や、あなたのためになると言って受け入れさせるような関わり方をしてくる人には特にです。
⑥ 自分と他人との間を隔てる「境界」が薄いことが多く、他人のネガティブな気持ちや感情の影響を受けやすい傾向にあります。例えば、他人の気分に影響されて、動揺したり、悲しくなって元気がなくなったりするなど。
⑦ 安心できていない人に、急に話しかけられる、頭をなでられる、顔や体を触られる、抱きつかれることなどを嫌がります。
⑧ 先生やクラスメイトがどのようであるかの影響は大きいです。相性が良くない場合は地獄などと言います。
⑨ 子ども扱いする人や権威を示す人、権力をふりかざす人がとても苦手です。
⑩ 親友がクラスの中に一人でもいると安心できますが、クラス替えで親友と離れなければならなくなったりすると、とても落ち込んだりします。
⑪ 1対1で話をするのを好みます。大勢の前で発表をすることや、大勢の人と会話をすることが苦手な傾向にあります。
⑫ 集団に合わせることよりも、自分のペースで思索・行動することを好みます。
⑬ 観察される、評価される、急かされる、競争させられる、やりたくないことをやらされることなどを嫌う傾向にあります。
⑭ 外向型の子どもたち向けにつくられている学校で、求められることを苦手に感じることが多く、人と比較したり、うまくいかなかったりした場合に自信を失いがちです。
⑮ 自分の気質に合わないことに対して、ストレス反応(様々な形での行動や症状としての反応)が出やすい傾向にあります。例えば「落ち着きがなくなる」「固まる」「泣きやすい」「言葉遣いや態度が乱暴になる」「引きこもる」「便秘」「不眠」「発熱」「頭痛」「吐き気」「腹痛」「じんましん」など。
⑯ 細かいことに気がついたり、ささいな刺激に敏感に反応したり、過剰に刺激や情報を受け止めたりするため、学校での環境や人間関係から強い「ストレス」を感じてしまい、不適応を起こしやすいところがあります。
⑰人のささいな言葉や態度に傷つきやすく、小さな出来事でも「トラウマ」となりやすいところがあります。
※⑮⑯⑰に関しては、親子の愛着関係に傷が入り、愛着の土台が不安定になっている場合、ストレスに対して、すでに脆弱になっているケースが見られます。
子どもの反応・症状・言葉・態度には意味やメッセージがある
感受性が強く、繊細で傷つきやすい気質を生まれ持った人は、ひといちばい強く深く感じやすく、心のごまかしが利かないため、ストレス反応や、さらにはトラウマ反応が起きたり、不安や憂うつ感、大勢の人前や安心感が得られていない対人関係での緊張などの症状が出てきたりしやすいといえます。
社会の中で、本人が身を置く環境に気質が合わなかったり、気質が合わない「こと」「人」が存在したりするときも、言葉にできない苦痛がそのような症状で出やすいのです。
また、過去に「心に傷を負わされた」、「個人の尊厳が傷つけられた・踏みにじられた」などの体験があると、それらに関連した「環境」「こと(活動・状況・場面も含む)」「人」のことが重なって、強い反応や症状が生じることもあります。
このように、気質に合わない「環境」「こと(活動・状況・場面も含む)」「人」の中に身を置かなければならないことが、心身の健康に影響を及ぼすこともあるのです。
そのような視点で見ると、その子の反応(症状を含む)・言葉・態度にはきちんと意味やメッセージがあることに気づかされるのではないでしょうか。
「いや、集団に揉まれながら、はね返す力や忍耐力・ストレスに対する抵抗力、そして立ち直る力や適応力を身につけさせることが大事。ポジティブにイメージしてサポートしたり、背中を押したり、誘導したりしたほうがよいのでは」といった考えに引っ張られるのも実情ですが、HSCの場合は特に、本人から発せられる意味やメッセージを的確につかむことが重要なのです。
本来の独自の人格を完成させようとする力の強さ
人は誰でも、天から与えられた資質(天賦)を持って生まれてくるはずです。
HSCは、その資質を完全な姿へと発展させようとする力・その子本来の独自の人格を完成させようとする力が強いということを経験的にも捉えています。
主体性が強く、指示や干渉をされること、否定されること、自分のペースを尊重してもらえないことへの苦痛や拒絶が強いのも、それらの力の強さを表す一面であると捉えられるのです。
生まれ持った独自の気質が、その子の「個性」として花開くかどうかということに対し、その子を取り巻く環境の影響は非常に大きいということを、大人がしっかりと認識し、子どもから力や本来のその子らしさを奪ってしまわないように気をつけなければならないのです。
家では育たない? 家にばかりいると自立を遅らせてしまう?
幸い、近年、“多様性”が尊重されつつあるなど、世の中の潮の流れが変わってきています。
子どもの不登校においても、それぞれの「個性」に合った学び方が、社会的に認められつつあるということです。
しかし、そこにはまだ、ホームスクーリングという選択肢は含まれていません。
「学びの場は家でよい、家のほうがよい」
そう言ってくれる親御さんや大人も多くありません。
子どもの魂が、
「家以外のどこでもなく、人格や発達の土台を築くためにまだまだ家で過ごすことが必要」
「育つ環境や方法、学ぶ内容を選択する権利を奪わないでほしい」と訴えていたとしても、
まるで「家では育たない。家にばかりいると自立を遅らせてしまう」という『一定の思考で停止したままの社会』といったところです。
一方で、実際には、学校やフリースクールなどの集団で過ごす場が“安全”でないと感じ、「尊厳」や「自尊心」が脅かされる子が存在しているという事実があります。
そして、そのような子が、“普通”ではない選択肢を選び、本人にとって安全・安心と感じられる場に身を置くことは、とても理にかなっているということです。
その子がその子らしく生きていくためには、親や大人がこれだけしかないと思っていた“物差し”を捨て、選択の幅を広げることが必要なのです。
多数派を生きてきた名残が迷いや不安を起こす
世の中の当たり前に当てはまらない価値観や考えを持つことは、少数派を選択するということを意味します。
多数派に属することが安全であるとして生きてきた名残は、やはりちょっとしたことで迷いや不安を起こさせます。
「ほかの子に遅れをとってはいけない」「落ちこぼれてはいけない」
「学校に行かなかったら将来苦労する」
「早く社会性を身につけて適応させなくては、自立させなくては」
親や大人が、これらの考えに縛られていると、子どもの気持ちやペースに寄り添うことができなくなるばかりでなく、子どもの中で自然に湧き上がった欲求や感情、そして主体性までもが圧し潰されていくことにもなりかねません。
だからこそ、少数派を選択する理由や目的をはっきりさせ、納得して選ぶこと。
その上で、お子さんを主役にし、お子さんの気持ちや意見に聞く耳を持って、当たり前の概念にとらわれない選択肢を並べ、その子にもっとも合ったもの・ペースを選んでいくことが大切です。
第2部 個人の権利をどう守るか ~母親Mさんと娘Yちゃんを通して~
ここから、その子にもっとも合ったもの・ペースとして『家』を選択した親子(母親のMさんと小学2年生の娘のYちゃん)のケースに照らしながら、子どもの個性や主体性、可能性、自己肯定感が奪われたり、後遺症をもたらす心の傷を抱えさせたりしてしまうことから、子どもをどう守るかについてお話していきたいと思います。
(※母親のMさんと娘のYちゃんという親子の事例は、多くのケースで見られる出来事や家庭の中に含まれる共通点をヒントに再構成したもので、特定のケースとは無関係であることをお断りしておきます)
Mさんは、いろいろあって、カウンセリングを受けるうちに、冒頭で挙げた①~③のすべてがYちゃんに存在することに気づきました。
①(学校⦅教育環境・システム⦆が気質⦅生まれつき備わった性質⦆に合わない)
→上記「HSC(Highly Sensitive Child)に多い、学校に適応しにくい特徴
(『HSCを守りたい』P73-75)の17項目に照らし、ほとんどが当てはまっていた。
②(愛着関係の傷⦅分離不安障害を含む⦆、愛着形成不全)
→乳幼児期から中々寝ない、人見知りが激しい、新しい場所や集団が苦手、母親から離れないなど、繊細さ、敏感さ、不安を感じやすいなどの特徴があり、Mさんは子育てに自信が持てなかった。保育園入園後は、母親と離れるときにこの世の終わりというほど大泣きするため、先生が母親から引きはがして教室へ連れて行っていた。
Mさんはイライラして否定的な言動をとったり、感情的に怒って言いすぎたり、しつけのつもりで強い口調で強制したり、見放すような言動をとってしまったりしたことなど、愛着関係の傷に関して思い当たることが多かった。
早く集団に慣れさせたほうがよいという周りの流れや声もプレッシャーになっていたりする。
しかし、愛着が形成され、分離不安が高い3歳頃までのデリケートな時期に、親から引き離されるという体験をしたHSCでは、親子間の愛着関係に傷が入りやすい。
それは、当たり前でふつうとされる教育制度を優先しなければならない中で、親の責任が社会適応側にばかり傾くのも無理がないため起こっている。
親としての責任をまっとうしようとするほど、「親が自分のことよりも先生や学校側の意向を優先してしまった」といったような、子どもにとっては『傷ついた』・『見捨てられた』・『裏切られた』、という体験を重ねることとなり、子どもとの間の愛着関係の傷が深まるのが実情。
そして、愛着関係の傷の修復がなされないまま、すなわち、愛着の土台が不安定となってストレス耐性が下がったまま、登園・登校の時期がきて、「行きたくないところへ行かされる」、「やりたくないことをやらされる」ことなどによって、人や環境に対する安心感、そして自尊心や自己肯定感が脅かされ続け、それらがさらなる心の傷(トラウマ)となって残ってしまう。
脅かす環境や関係性から離れたり、あるいは、殻に閉じこもったりすることで自分を守ろうとするため、登園・登校渋りが出ても何ら不思議ではない。
③(長期的・反復的な強いストレス、トラウマ)
→月日を追うごとに易刺激性や心の不安定さが増した。
情緒不安定、癇癪、言葉遣いや態度が乱暴になる、自暴自棄、自傷行為、無理な要求・命令などが繰り返され、怖い夢を繰り返し見たり、赤ちゃん返りも見られた。
頭痛・お腹の不調・吐き気・めまい・喉のつかえ感などの身体症状もあった。
自己嫌悪や自己肯定感の低さ、自分は価値がない人間だという思い込みなどの認知面への影響も見られた。
また、愛着関係の傷を抱えていたり、愛着の形成がうまくいっていない子どもが *複雑性PTSDへと移行していくことも珍しくないともいわれている。
*複雑性PTSD……多くは子ども時代に、長期的・反復的に受けた虐待やマルトリートメント(大人の子どもに対する不適切な養育・関わり)、いじめなどを含む強いストレスやトラウマ的な出来事によって引き起こされるトラウマの後遺症のこと。
不登校になった当初の段階
不登校になった当初は、「家(ホームスクーリング)」という選択肢など存在しなかったのはMさんも同様でした。
学校に戻らないという選択肢など概念にない間は、状況が落ち着けば学校に戻るだろうというイメージで動くので、必然的に学校やスクールカウンセラーとのやりとりもそれが前提となったものになります。
発達相談センター、役所の福祉課・支援課、児童相談所、児童精神科など、相談に赴く際も同様です。
そのため、それら関係者は、再登校というゴールに向けて、それぞれの知識や役割をまっとうすべく支援に当たります。
子どもが不登校になったばかりで、動揺や不安が強い段階の保護者にとって、その支援は親切で手厚いほど救われるのは確かなこと。
Mさんも積極的に相談し、情報や提案、支援を、提供されるまま受け入れていました。
大人の思惑に対し、子どもの拒絶反応が示しているもの
しかし、①~③に強く当てはまるほど、子どもは大人の思惑とかけ離れた拒絶反応を示します。
何を差し置いてもまず、①~③の問題と向き合い、解決していく必要があるのですから子どもにとっては自然な反応といえます。
特に大事なのは、親子間で安定した愛着がつくられるかどうか。
安定した愛着の土台=安全基地の土台をつくるという意味で、まず夫婦間で安定した愛着を育てていく、あるいは築き直していくことが必要です。
そして、親として、子どもとの間で安定した愛着を築き(形成し)直していくという過程が重要です。
夫婦間で安定した愛着を育てていく・築き直していくことによって、子どもとの愛着も安定しやすくなり、その安定した愛着が、対人関係の土台・自己調節の土台・発達の土台・自己形成の土台・ストレス耐性の土台となって、生きる力を支えていくのです。
夫婦間・親子間に、安定した愛着が構築されていくにしたがって、その相互的な関わりの中から、双方の *オキシトシンの分泌が促されていきます。
オキシトシンの、共感や信頼感、そして安心感や寛容さを高める働きによって、夫婦間・親子間のコミュニケーションや関係性にプラスの変化が生まれやすくなると考えられるのです。
*オキシトシン……脳の下垂体後葉から分泌され、一般に分娩や授乳に関与するホルモンとして知られているが、別名「愛情ホルモン」「幸せホルモン」とも呼ばれている。
親が愛着のことをしっかりと理解して、不足している安心感や愛情に目を向け出すと、心の傷や愛情飢餓の回復を求めて、赤ちゃん返りが起こりやすくなることが考えられます。
幼い子どもに戻ったように、駄々をこねる、わがままを言う、あるいは、親に指示する、命令する、思い通りにいかないことで癇癪を起こす・暴れるなどして、親を困らせるような言動をとることもあるかもしれません。
しかし、この時期にしっかりと向き合うことが、愛着関係の傷からの回復の鍵を握るといっても過言ではないのです。
少数派を選択する方向への変化に立ちはだかる新たな困難
Yちゃんの苦しむ姿から、何かが間違っていると感じ、本や経験談、カウンセリングなどから学びや知識を得ていったMさんは、大人がみな学校をゴールにしていること自体がYちゃんの心の傷を刺激し、深め、苦しみを増幅させているという現実が見えるようになってきました。
そして、Yちゃんの苦しみ・つらさに寄り添い、学校をゴールにしないこと、親子間で安定した愛着を築き直すこと、治ろうとしている心の傷を再び開くような刺激から本人を守る方に方向性を変えることをしなければと思いました。
しかし、Mさんのような、少数派を選択する方向への変化には、別の新たな困難が立ちはだかるということは、すでにお伝えしたとおりです。
周りの人たちからは「引っ張って連れて行ってでも学校に行かせるべき」「学校に戻れるように支援してやらないと本人がかわいそうだ」「学校に戻れないと将来の保証がない」など、反対意見や心配ばかりで話し合いにならず、愛着の再構築はおろか、支えや味方になってもらうことができません。
ゴール、選択の動機など諸々一致しなくなった学校や支援側の方々とは、ベクトルが大きく異なる方向を向くことになり、支援の内容自体にニーズがなくなります。
それにもかかわらず、支援を必要としなくなった根拠や、その重要性が伝わらず、一致しない方向の働きかけが続くと、支援者側との関わりや働きかけ自体が、苦痛やストレスを生み出す刺激になってしまいます。
Mさんにとっても、それは精神的に大きな負担になっていきました。
双方(当事者側と支援者側)の方向性が一致しない段階で当たり前のように権利や安心を奪われる実態
このように、双方の方向性が一致しない段階において、
大人や支援の立場側の “当たり前” “普通” が力を持ち、「いいこと」「正しいこと」「この子のため」といった関わりで当事者側の領域を超えてしまいがちです。
そのような関わりで親が精神的な安定を維持できなくなると、子どもは現在もっとも必要な安全基地を奪われてしまいます。
回復させたいはずの個性や主体性、可能性、自己肯定感が削がれたり、心の傷がさらにえぐられたりするようなことも起こっているのです。
少数派の弱い立場の個人が、当たり前のように権利や安心を奪われる実態。
親が子どもを守ろうとしても要望が聞き入れられない、尊厳が踏みにじられ、心の傷や封じこめざるを得なかった負の感情を抱えさせられている子どもの苦しみは、誰も責任を取らない実態。
当事者側にはそれらが見えたとしても、子どもと自身の権利や健康、幸せを守るための境界が築けず、足踏みで何とか現状をやり過ごすより方法がないという実態に対し、打開策が必要なのです。
第3部 『パターナリズム』によって余儀なくされている苦しみへの打開策
第3部では、打開策として見出された、『法律の専門家』である『弁護士』による『意見書』についてお伝えします。
まず、支援者側と当事者側の関係性や、当事者側が置かれた立場を表すと以下のとおりです。
「学校に行かせるべきという価値観が根強く、学校へ行くことが前提」となっている関わり方(支援・介入)をする側の力(権力)のほうが強く、希少な選択を希望する側の力が弱くて選択権・決定権が尊重されない、
という関係性に、「上と下」「強者と弱者」があり、
『パターナリズム』という「強い立場にある者が、弱い立場にある者に対して、“本人のためになるものである”として、本人の意志に関係なく受け入れさせていく干渉的関わり」によって、「(わかりにくい)支配と服従」の関係を余儀なくされている実情が現実として存在する。
そこで、関係性を「対等」にできず、個人の権利を守るのに個人だけの力では不足がある場合、それを補い力になってくれるのが『法律』。
『法律の専門家』の存在や力を得るのは理にかなっているのです。
例えば次のような希望について、法律を前提にどのような見解や方法があるのか。
『HSC子育てラボ』顧問弁護士の白川 敬裕先生に確認をとっています。
- 親子の方針が、法律的に問題ないことを確認したい
- 希少な選択をすることやその意図を、周囲の方々に理解してもらいたい
- 本人の心の傷を回復させるために、刺激や介入をなくすこと・減らすことが重要であることを認識してもらいたい
- 刺激や介入は、本人のみならず、親にとっても精神的な負担となり、親が子どもの心の安全基地となって機能していくことが困難になるため、しっかりと「境界」を設定したい
以下は、白川弁護士の見解です。
そして、親子の希望を守るためには、 「保護者から聞き取った情報、あれば医師の診断書や園・学校での資料、保護者自身がつくった文書等をもとに、法律を前提にすれば、このような配慮をすることが求められる、といった内容を明記した『意見書』を作成し、送付する」
このような方法をとることができます。
「弁護士」というと、裁判など、どうしても争いばかりがイメージされることもあり、「こういった相談もできるのですか」とみなさん驚かれますが、相談者の立場や状況、気持ち、考えなどを丁寧に、的確に汲み取ってくださる方の場合、相談者が得られる安堵感は非常に大きく、これまでの精神的な負担や傷が手当されるようだと感じられるのが実際です。
『保護者による文書』を作成
また『意見書』に添えるものとして『保護者による文書』をつくることも大事にしています。
『意見書』のみでもちろん十分ではあるのですが、保護者としての考えや方向性の根拠となるものを整理して文書化しておくという主体的な行動はまた、保護者としての覚悟や責任を示すためにも、自覚するためにも、そして夫婦の方向性や意識、足並みを揃えるためにも重要なのです。
『保護者による文書』は下記のような構成です。
- 成育状況:「乳幼児期~不登校前」の特徴的なこと
- 不登校と関係していると思われること:「HSCに多い、学校に適応しにくい特徴」『HSCを守りたい』P73-75から引用・および「愛着の問題、ストレスやトラウマ」について
- 身体面・心理面での医療機関・関係機関受診の結果
- 不登校後の様子
- 夫婦で話し合ったこと
- 子どもの育ち・子育てについての基本的な考え
- 学校等との関わりや支援、ホームスクールについての考え・要望
弁護士による『意見書』
弁護士の先生による『意見書』は、『保護者による保護者による文書』や要望の詳細などの聴取をもとに行われ、下記のような構成で作成されます。
第2 Yさんへの教育の在り方
1 医師の診断
2 Yさんの特性・特徴及び状況
3 ご両親のお考え
第3 関係機関へのご要望について
大変貴重なものなのですが、お子さんや親御さんご自身が守られるための重要な変化が起こる可能性が広がることを願い、白川弁護士の許可のもと、一般に利用できる雛形を作成し、その一部を掲載させていただきたいと思います。
※特定のケースとは無関係とするため、一部に変更を加えています。
※無断での使用・転載・複製はお控えください。
意 見 書
●● 御中
Yさんへの教育の在り方について、法的な観点から、以下のとおり意見を申し上げます。
第1 前提となる法律1 はじめに
教育は、「憲法・法律に定められた目的」を実現するための手段です。
そのため、教育は「憲法・法律に定められた目的」に沿って、行われる必要があります。
2 教育の目的(教育基本法「前文」「第1条」)
教育基本法の「前文」「第1条」には、以下のとおり「教育の目的」が定められています。
_________________
教育基本法
【前文】
(略)個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。
ここに、我々は、日本国憲法の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。
【第1条(教育の目的)】
教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
_________________
このように、教育の目的は、「個人の尊厳」を重んじながら、「人格の完成」「心身ともに健康な国民の育成」を目指すことにあります。
第2 Yさんへの教育の在り方
1 医師の診断
(略)
また、HSC(Highly Sensitive Child)の特性も強く、感覚や人の気持ちに敏感で、細かいことに気がついたり、人の気持ちを察知したりします。
しかし、刺激や情報の多い環境に置かれると、過剰に刺激や情報を受け止めたりするため、圧倒されて、環境や人間関係からストレスや不安、疲労を感じやすいところが見られます。_________________
2 Yさんの特性・特徴及び状況人それぞれ、個性や特徴があります。教育は、教育基本法の「前文」にあるとおり、「個人の尊厳を重んじること」が最も重要な前提となります。
前記のとおり、教育は、「個人の尊厳」を重んじながら、「心身ともに健康」な育成を目的としています。
この点、Yさんは、HSC(Highly Sensitive Child)の特性を持っています。
HSCのお子さんには、学校に適応しにくい特性が存在するため、学校に通うこと自体が、心身の健康に深刻な影響を及ぼしてしまいやすい傾向があります。
(中略)
教育基本法に定められているとおり、Yさん個人の尊厳を重んじ、かつ、Yさんが心身ともに健康に成長できる教育または学びの在り方を考える必要があります。
学校に登校することが、かえってYさんの心の傷を深め、心身の健康を損なう状況にあることを鑑み、法律に定められた教育の目的に照らし、登校以外の方法が検討されるべきと考えます。
3 ご両親のお考え
ご両親は、「Yさんが抱える心の傷の修復、親子間の安定した愛着関係の構築に専念したい」「社会が普通とする方向へ誘導することで、Yさんの苦しみや心の傷を増幅させたり、本人の個性や主体性を奪ったりすることはしたくない」と考えています。
(中略)
ご両親は、Yさんの個性を重んじながら、Yさんが心身ともに健康でいられる環境をつくろうとしています。
そのような中、周りの方々から働きかけを受けると、善意には感謝しつつも、やはり刺激や負担となり、ご両親の心身の安定も保てなくなります。ご両親のお考えは、法律の定める教育の目的に沿うものですから、最大限、尊重されるべきです。
周りの方々には、働きかけるよりも、「見守る」というスタンスをとっていただく方が望ましいと考えます。
第3 関係機関へのご要望について
法律の定める教育目的及び教育の在り方、Yさんの特性・特徴及び状況、ご両親の考え方を踏まえ、関係機関において下記のようにご対応いただくことを、要望させていただきます(下記は、当職において、ご両親のご要望を聴取して整理し、ご両親にご確認いただいた内容になります)。
(略)
※Mさんの場合は、学校長との面談など、学校側との協議をある程度行った上で要望を決定しました。
以下は「要望例」となります。
1 (例)ご両親が学校に赴くことを、必要最小限にしていただく。具体的には教科書の受け取りと面談を兼ねた年●回にしていただく。
2 (例)プリント・お便り、行事のお知らせ、通知表等について、交付の有無・頻度・方法等を相談させていただく。
3 (例)Yさん本人が再登校することへの意思を示すことがない間は、ホームスクールを選択させていただく。
4 つづく
そのほかにも、下記のような要望が考えられます。
・控えていただきたいこと:学校への誘導/支援の紹介/事前に連絡や目的に対する説明のない自宅への訪問など
・尊重していただきたいこと:安否確認について、本人の意思や尊厳を中心にした頻度や方法。・辞退させてもらう必要があること:健康診断(強要はせず、本人の意思を尊重した結果、健診を実施することが困難な場合において)/行事等のお知らせ/テスト/宿題/PTA活動など
『意見書』が光を当てたもの
不登校に関して普段触れているのは、「就学義務」「学校教育法」「教育機会確保法」といった、学校と直接関係する法律です。
しかし『意見書』では、それらには一切触れられていません。
代わりに、前提となる法律として明記されているのは「憲法」および「教育基本法」です。
「教育基本法」とは、日本の教育に関する根本的・基礎的な法律であり、教育に関するさまざまな法令の運用や解釈の基準となる性格を持つもの。
つまり、教育や支援の現場で実務的に行われること以前に、本来前提となるのが「教育基本法」であり、個人の尊厳の確保を最大の目的としている「憲法」なのです。
下記は特に重要なポイントです。
教育の目的は、
『個人の尊厳』を重んじながら、
『人格の完成』
『心身ともに健康な国民の育成』
を目指すことにある。
これらはまさに、学校に行けなくなったHSCが、多数派を基準にした社会や学校の価値観や常識、 “当たり前” “普通” の中で剥奪される形になってきたもの。
だからこそ、これらにしっかりと光が当てられることで、本来守られるべきHSCの本質や、守る術(すべ)のなかった『個人の尊厳』を守るのに、大きな力を発揮してくれるのです。
おわりに
愛着関係の傷・心の傷の回復の鍵を握るのは、安心して過ごすことができる場所(『安心の基地』)が確保されるかどうかです。
『安心の基地』とは、上下の関係や支配・管理・誘導操作的なコントロール・干渉・押しつけ・拒否・無関心・無視・差別・暴力(なじる・けなす・罵るなどの言葉の暴力を含む)・喧嘩・口論などがなく、子どもの考えや感情が否定されずに共感的・肯定的に受け止められながら安心して過ごすことができる場所のこと。
つまり子どもの安全が保障され、承認・共感・受容をもって関わられるという安心感と信頼感を備えている基地のことです。
今までのような、感情を抑圧せざるを得なかった環境から離れ、安心して自分の感情を感じ、自由に表現できるような安全・安心な環境に身を置いたとき、脳(心)は回復の動きを始めます。
まず、脳(心)が安全を感じ取ると、感情への否認や感情の抑圧が解け、今まで閉じ込めてきたネガティブな感情を解放し始めます。
それは、今まで見ないように感じないように心の奥に押し込んできた、本来の自分の感情や欲求がよみがえってきたことを意味するとても重要な過程なのです。
幼い頃から登園・登校過程のさまざまな場面で心の奥に押し込んできた「不安で不安でいっぱいだったが何も言えなかったこと」や「わかってもらえなかったこと」「傷ついて悲しくて仕方なくても甘えられなかったこと」などのつらかった体験について、子どもが感情や思いを吐き出そうとするときは、反論したり自己弁護したりせず、気持ちを受け止め、心の傷や痛みに寄り添ってあげてください。
大切なことは、私たち親が信じるべきなのは学校や身内や世間ではなく、目の前の子どもです。
「この子はきっと学校でやっていける」という方向ではなく、「この子の “生命(いのち)” が『今の私が生きる場所は学校ではない』と主張している」と感じるように、 “生命(いのち)の叫び声” を、お父さんとお母さんが共に信じるということです。
「学校に行かなくてもちゃんと明るい将来はある」
「あなたの持って生まれた才能を開花させることができる選択肢を選んだほうがよい」
そう語ってくれる存在に子どもは救われます。
「お父さん・お母さんが信じてくれている」「お父さん・お母さんが守ってくれた」。その安心感・信頼感は、子どもの自己価値や自己肯定感を育むとても尊いもの。
お父さん、お母さんのどちらかだけではなく、双方の心が通じ合っていることが重要なのです。
不思議なことに、不登校だけでなく、子どもに表れる問題は、『機能不全の家族』や『一定の思考で停止したままの社会』の問題や歪みの正常化を起こす力を持っています。
Mさんのように、弁護士の先生への相談や『意見書』、そして『保護者による文書を作成する作業』に取り組むという過程を経ることが追い風となって、正常化の方向により大きく前進するケースもあるでしょう。
いつの間にか歪みが大きくなった夫婦の関係も、「個人の尊厳」「人格の完成」「心身の健康的な成長」といった本質を軸に向き合っていくことが歪みをなおし、再び心を通じ合わせられるようになる可能性を膨らませます。
そこに本当の幸せがあることを知っていて、そうなることを最も望んでいるのは、子どもでもあり、お父さん・お母さんのインナーチャイルド(今でも心の中に存在する、傷ついたまま取り残されている子ども時代の自分)だったりするのです。
だからこそ、
子どもやインナーチャイルドの純粋な感覚を、敬意を持って誠実に受け止める。裏切ることなく守る行動をとる。
守るための力が足りない場合は、専門家の助けを得る。
そうして本質的な「幸せ」を追求していっていいはずです。
社会が変わってくれるのを待つよりも、ひとりひとりの勇気が空気を変えていくのではないでしょうか。
大河原美以『ちゃんと泣ける子に育てよう―親には子どもの感情を育てる義務がある』河出書房新社、2006年
エレイン・N・アーロン『ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。』SBクリエイティブ、2008年
長谷川博一『お母さん、「あなたのために」と言わないで―子育てに悩むすべての人への処方箋』草思社、2010年
岡田尊司『なぜ日本の若者は自立できないのか』小学館、2010年
岡田尊司『愛着障害―子ども時代を引きずる人々』光文社、2011年
岡田尊司『発達障害と呼ばないで』幻冬舎、2012年
エレイン・N・アーロン『ひといちばい敏感な子―子どもたちは、パレットに並んだ絵の具のように、さまざまな個性を持っている』1万年堂出版、2015年
スーザン・ケイン『内向型人間のすごい力―静かな人が世界を変える』講談社、2015年
岡田尊司『愛着障害の克服―「愛着アプローチ」で、人は変われる』光文社、2016年
岡田尊司『過敏で傷つきやすい人たち―HSPの真実と克服への道』幻冬舎、2017年
友田明美『子どもの脳を傷つける親たち』NHK出版、2017年
岡田尊司『愛着アプローチ―医学モデルを超える新しい回復法』KADOKAWA、2018年
杉山登志郎『子育てで一番大切なこと―愛着形成と発達障害』講談社、2018年
杉山登志郎『発達性トラウマ障害と複雑性PTSDの治療』誠信書房、2019年
斎藤暁子『HSCを守りたい』風鳴舎、2019年
友田明美『親の脳を癒やせば子どもの脳は変わる』NHK出版、2019年
斎藤 裕、斎藤暁子『ママ、怒らないで』[新装改訂版]ディスカヴァー・トゥエンティワン、2021年
『HSC子育てラボ』顧問/医師
著書に『ママ、怒らないで。(新装改訂版)』ディスカヴァ―・トゥエンティワン がある。
斎藤 暁子
『HSC子育てラボ』代表/心理カウンセラー
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