琥博くんの個性が花開く場所

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Vol. 10 「なんで仕事行くの!?休んで、お母さん家にいて」息子の必死の訴えに母は…(この記事です)



「不登校は、本人の心の叫びを表した結果。小さい頃からずっと疑問を抱き、納得いかないことをさせられてきた結果だと思うので、早く気づかされてよかったと思います」と語る琴子さん。そこにはいったいどんなドラマがあったのか。琥博くんとのこれまでと、これからについて、乳児期からたどってお伺いしたお話を、連載でお届けします。

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オンラインで勉強会に参加して

HSCを知ってからというもの、琴子さんは、ブレずにHSCの情報を得ていました。

そして、「HSC子育てラボ」で、オンラインの勉強会が行われていること、毎回4名限定で募集されていることを知り、申し込みをして、2018年11月末頃(琥博くん3年生当時)に初めて勉強会に参加しました。

勉強会では、精神科医で自身もHSPである斎藤 裕Drより、HSCの気質について、不登校になった子の心の傷、愛着関係の傷などについて、詳しい話がありました。

息子さんが2歳2ヵ月のときから保育園に行くようになりましたが、それはちょうど愛着形成が大事な時期だったこと、そのとき離れたことも、琥珀くんにとっては傷になっている、と受け止めた琴子さんは、そのときすぐに、「仕事を辞めよう」と思いました。

「愛着形成のやり直しを『今』しないと!」と思ったのです。

翌日、さっそく上司にそれを話しました。

「早くから子どもを保育園に預けて、そういうことも影響しているかもしれないので、仕事を辞めたいと思います」

上司は「ちょっと待って」という答え。

上司「知っている人で、子どもが不登校になって、親子でうつのようになって共倒れしている家族がいるので心配。職場としても今辞められると困るし…、琥博くんのケアができるシフトにするから、今すぐにそれをしなくてもいいんじゃない?」

当時は、琴子さん自身も、息子さんとずっと二人でいることに不安があったので、そうか、と思いました。

とはいえ、琥博くんを近くで支えるのは自分しかいない、という思いもあったので、どうしたらいいのか……、そう思いながら、ずるずると仕事に行っていました。

何かあったらすぐ休んでいいとのことでしたが、働いている以上責任はあるし、そうはいかない、という思いも抱えていました。

「HSC親子の安心基地」

琴子さんが勉強会に参加した数週間後、「HSC子育てラボ」で、HSCを育てる親のためのオンラインコミュニティ(現在の『HSC親子の安心基地』)を一緒に構築するメンバーの募集が始まりました。

琴子さんは、ものすごく迷いましたが、10名限定の枠がどんどん無くなっていくのを見て、この枠に入れなかったらきっと後悔する!と思い、決死の思いと言ってもいいくらいの気持ちで飛び込みました。

勉強会もミーティングもすべてオンラインで行われるコミュニティで、同じ境遇や価値観を共有する仲間とのつながりができたのも、この頃でした。

なんでお母さん仕事に行くの!?

それからしばらくの間は、琥博くんは日中、琴子さんの実家ですごす日々が続きました。

しかし、4年生になると、琥博くんは、「ばあばあのところに行かない」と言い、一人で家にいるようになりました。

そのため、逆におばあちゃんがきてくれるようになっていました。

当時の琥博くんは、おばあちゃんが昼ご飯を作ってくれ、琴子さんはお昼休みに帰宅。その間におばあちゃんは帰り、お昼休みが終わる14時になったら、「16時までだからひとりでいれる?」ということで、琥博くんを家に残し、琴子さんはまた職場に戻るという日々を過ごしていました。

それも徐々に、琥博くんは

「なんでお母さん仕事に行くの」

と言うようになりました。

5月のGW中、琴子さんは、高熱が出て4日ぐらい寝込んでしまいました。

寝込んでいても、お母さんがずっと家にいる……。

そんな連休が明けた5月7日、

琥博くんは

「ばあばあじゃダメなんよ、お母さんじゃないとダメなんよ」

「休んで、お母さん家にいて!」

と、必死の表情で訴えました。

琴子さんは、琥博くんのただならぬ様子を肌で感じました。

しかし、「急に辞めるわけにはいかない」という思いとの板挟みで葛藤……

結局その日は何とか出勤しました。

翌8日も、琥博くんは、「仕事に行かないで」と訴えました。

「琥博は、もういっぱいいっぱいだ……」

琴子さんは、そう痛感しました。

そして、

「わかった話してくるから。だから今日だけ行かせて」

と琥博くんに伝えました。

直属の上司に話をしましたが、すぐには結論が出ず、一旦休むということになりました。

しかしそれでも、シフト上、代わりの人がいなくて、二日間ほど出勤しないといけない日が続きました。

「このままではいけない、はっきり区切りを付けなければ……」と決心し、16日、直属の上司に話をしました。

「無理にいてもらって、逆にこっちの方が引き留めておいてごめんね」と上司。

その後、上層部からは、辞めるのではなく、しばらく休んでは、という話もありましたが、琥博くんがうつのようになったり、「生きてる意味がない」「寿命が短かったらいい」などと言うこともあったため、これまでも仕事を辞めることを何度も考えてきた琴子さんは、一旦区切りをつけて退職し、失業保険をもらうことに決まりました。

家に戻った琴子さん。

「辞めたからね。もう家にいるよ」

そう伝えると、琥博くんは

「ほんと?」

と嬉しそうな表情を浮かべました。

揺れる心

琥博くんの表情を見て、ようやく、琥博くんの必死の叫びに応えることができたことにホッとした琴子さんでしたが、一方で、すぐには晴れ晴れした心境にはなれなかった、というのが実情でした。

琥博くんと一緒にいようと心に決めている半面、達成感といった、仕事で得られる喜びを失ってしまうことへの思いや、上司や利用者さんに対する罪悪感が湧いてくるためです。

琴子さんはグループホームの生活支援員をしていました。

担当していた利用者さんとは、何年も密に関わってきていて、信頼関係ができていましたし、「買い物外出支援」の責任もありました。

琴子さんは後日、琥博くんに、1日だけ、と何とかお願いをして、「買い物外出支援」の1日だけ出勤させてもらったこともありました。

利用者さんへの責任を果たしたいという思いからでした。

「言葉」「表情」「行動」で示してくれたから気づけたこと

5月10日、琴子さんが友達と電話で話していると、

「一緒に絵を描きたい」

「何で話してくれないの?寂しい」

「僕を見てくれないの」

と、琥博くんは涙ぐみました。

「そんなふうに琥博くんが、『言葉』『表情』『行動』で示してくれなければ気づくことができませんでした」と琴子さん。

インタビューでは、

「今改めて考えると、利用者さんの買い物外出は、私じゃなくてもよかったかもしれないけど、当時は思い込んでいました」

と琴子さんはおっしゃいました。

琴子さんの、仕事や職場の方々、利用者さんなどへの、優しさや情熱、真心で向き合う姿勢が伝わってきて、温かい人間味がひしひしと感じられると同時に、琥博くんがいかに、自分以外の人たちに向けられていたお母さんの思いや存在が、自分だけに向けられ、注がれることを一心に求め、欲したのだということも感じられました。

それがお母さんに伝わり、ようやく、ちゃんと叶うときがきたなんて、どんなに嬉しく、安心したことだろうと思いました。

つづく