【連載】琥博くんの個性が花開く場所 

「不登校は、本人の心の叫びを表した結果。小さい頃からずっと疑問を抱き、納得いかないことをさせられてきた結果だと思うので、早く気づかされてよかったと思います」と語る琴子さん。そこにはいったいどんなドラマがあったのか。琥博くんとのこれまでと、これからについて、乳児期からたどってお伺いしたお話を、連載でお届けします。

※ご本人の許可を得ていますが、匿名性を守るために細部に変更を加えています。

はじめに

琴子さん(仮名)との出会いは、2018年11月。

当時小学3年生で、学校に行かなくなっていた息子さん(琥博⦅こはく⦆くん:仮名)が、HSCの特徴にぴったり当てはまっていたことから、当時開催していた「HSC子育てラボ」オンライン勉強会にご参加くださったことがきっかけでした。

その後、HSCを育てる親のオンラインコミュニティ構築のためのメンバーとして参加し、コミュニティ構築の仲間になってくださったのでした。

勉強会、お話会、親子で、子ども同士で、と、オンラインだけのつながりながら、深く濃い関係を築いてきました。

そんな琴子さん親子のエピソードを連載させてほしいと思った背景には、

「常識の枠にとらわれず、子どもの気質や意思を尊重した生き方の選択(ここではホームスクール)」「愛着関係の傷と向き合い、回復させる関わり」「本物の愛着形成がもたらす結果」といったことを、共通のものとして認識し、大切にしようと決意されるまでのストーリーがあったからです。

 

HSCを持つ親御さんからの、子育て、行き渋り、不登校などの相談といった関わりの中からわかっていったことなのですが、家庭の事情や、学校という制度の存在によって、それらの親御さんの多くが、家以外の環境に、子どもを早いうちから適応させておきたい、慣れさせておきたいという思いに駆り立てられたり、幼い頃から子どもを保育園や人の手に預けたりしてこられました。

早く集団に慣れさせたほうが良いという周りの流れや声もプレッシャーになっていたりします。

がしかし、愛着が形成され、かつ母子分離不安が高まっている3歳頃までのデリケートな時期に、親から引き離されるという体験をしたHSCでは、愛着関係に傷が残り、それが強い不安となって尾を引きやすいのです。

そして、愛着関係の傷の修復がなされないまま、すなわち、愛着の土台が不安定となってストレス耐性が下がったまま、登園・登校の時期がきて、行きたくないところへ行かされる、やりたくないことをやらされるなどの体験が続くことによって、人や環境に対する安心感、そして自尊心や自己肯定感が脅かされていきます。

脅かす環境や関係性から離れたり、あるいは、殻に閉じこもったりすることで自分を守ろうとするため、登園・登校渋りが出ても何ら不思議ではないのです。

このような経緯から、登園・登校を渋るHSCでは、かなりの頻度で、以下の『分離不安障害』が起こっているものと考えられます。

 

〈『小児期の分離不安障害』の診断基準:ICD(国際疾病分類)-10.医学書院.P278-279より抜粋〉

診断の鍵となるのは、愛着の対象(通常両親あるいは他の家族成員)から別れることを中心とした過度の不安であり、さまざまな状況に関する全般的な不安の単なる一部分ではない。この不安は次のような形をとりうる。

強く愛着をもっている人に災難が降りかかるという非現実的な、現実離れした心配に心を奪われる。あるいは彼らが去って戻らないだろうという恐れ。

迷子、誘拐、入院、あるいは殺されるという災難によって、強く愛着をもっている人から引き離されてしまうという非現実的な心配に心を奪われること。

・分離の恐れのために、(学校での出来事を恐れるというような他の理由からでなく)登校を嫌がり、あるいは拒否し続けること。

・強く愛着をもっている人が近くか隣にいなければ、眠るのを嫌がり、あるいは拒否し続けること。

・一人で家にいること、あるいは強く愛着をもっている人なしで家にいることへの持続的で度の過ぎた恐れ。

・分離に関する悪夢を繰り返す。

・身体症状(悪心、胃痛、頭痛、嘔吐などの)が、強く愛着をもっている人からの分離をともなう状況の際に繰り返し起こること。たとえば家を離れて学校に行く場合。

・強く愛着をもっている人からの分離を予想したとき、その最中、あるいはその直後に、過度の悲嘆を繰り返すこと(不安、泣くこと、かんしゃく、みじめさ、無感情、あるいは社会的引きこもりとして現れる)。

 

子どもが不適応を起こしたら、例えば、その子が持つ遺伝的気質に焦点を合わせて、学校などの環境を、できるだけその子の気質に合ったものに整えてもらえるように働きかけたり、学校以外で、その子の気質に合うような教育の場を選択したりすることを試みられることもあるかもしれません。

しかし、愛着の問題が絡んでいる場合、まずはそこに焦点を合わせることが重要なのです。愛着に手が施されなければ、その子が身を置こうとする環境に適応しにくくなるだけでなく、将来にわたって、対人関係面での生きづらさを抱えていくことにもなり得ることを知ってもらいたいのです。

 

「HSC子育てラボ」は、学校に行かない選択をしている子どもさんの今と将来に、たしかな安心や信頼が持てること、心身が健やかに育つことを、常に念頭に置いています。

実は、それには、恐れや欲望を手放す勇気、親にとって都合の悪いことでも、子どもの声や感覚に心を傾け、受け入れて対処する覚悟が必要です。

勉強会では特に、そのような親の在り方や、親自身の人生・内面との向き合いに取り組んできました。

琴子さんだけではありません。園や学校に行けなくなった子の親御さんたちが、子どもさんの訴えや苦しみに、どう向き合い、葛藤し、周囲の働きかけや声に傷つき、悩み苦しみ、子どもさんから何を感じ、考え、覚悟し、手放し、選んできたのか…

光を当てて見てほしいことがたくさんあります。

まずは、琴子さんのエピソードを連載させていただくことで、それらを表現できればと思います。

斎藤  暁子(kokokaku)/(愛着に関する補足説明:斎藤 裕医師)

琥博くんの幼少期

『親になる』という意識や責任を深く受け止めた瞬間

出産の日。分娩室で、出産後の処置中だった琴子さん。

トイレに行くために立ち上がり、歩いて行くときに、気を失いかけてしまいました。

その瞬間、琴子さんの中に「この子を残して死ねない!」という強い思いが響き、意識が戻りました。

「『親になる』という意識や責任を深く受け止めた」

この瞬間のことを、琴子さんは真剣な表情で語ってくれました。

生まれて間もない琥博くんを横に、「息してるかな」と気になり、「片時も目を話したくない」「この子は私が守らないと」という強い気持ちが芽生えました。

夕方、ご飯をつくるときになると始まるギャン泣き

琥博くんとの新しい生活は、初めてのことばかり。

いつ頃からか、琥博くんは、夕方になったら、ぎゃんぎゃんと激しく泣くようになりました。

当時は、だんなさんが夜勤のある仕事で、出勤前の夕方にご飯をつくらなければならず、ちょうどその時に泣くのでした。

だんなさんは、腫れ物に触るようなかんじだからか、だんなさんが仕方なく抱っこすると、琥博くんの泣き方が激しくなってしまいます。だんなさんの顔はみるみる険しくなり、「いつまでやっているのか」と、荒い声が飛んできます。

琴子さんは、虚しさ・悔しさの中ご飯を一生懸命つくり、とにかくこの場を離れたいという思いで、実家へ行ったこともありました。

人見知り、慎重、怖がり、でもおんぶをしていれば大丈夫

乳児期の琥博くんは、とにかくお乳を飲むのが好きで、小まめにちょこちょこ起きる赤ちゃんでした。何度も起きて授乳するのは大変でしたが、「添い乳」を知ってから恐る恐る何カ月かやってみて、これで落ち着くんだなとわかりました。

また、ぽっちゃりしているので、かわいいと声を掛けられますが、見られるだけで大泣きするほど、人見知りが激しい赤ちゃんでした。

慎重さや、怖がりなところも特徴的で、掃除機の音を怖がり大泣きします。ただし、おんぶしていたら大丈夫でした。

買い物の時もカートに乗らないのでおんぶ。常におんぶでした。

歩き出すのが遅く、不安で気になった1歳の頃

1歳過ぎた頃から、熱を出す、せき込んで吐くことなどが多くありました。

歩きだすのが遅く、不安で気にはなっていました。健診で小児科を勧められ、1歳7か月ごろ受診しました。「大丈夫です。すごく用心深いと思うんです。このまま待ちましょう」と言ってくださった先生は、友達から紹介してもらった女医さんで、とても優しく、しっかりと説明してくれて安心できる先生でした。

その後、琥博くんは、1歳8か月でしっかり歩き始め、以降はカートに乗らず、歩いてついてくるようになりました。

一方で、おしゃべりはすごく早く、意味もわかっていて、2歳の頃には周囲の人たちにびっくりされていました。

2歳の琥博くんはママにべったり、でも支援センターでは…

琥博くん、ママといつも一緒でべったりです。

一方で、支援センターで先生たちの劇を見ている時、他の子はママのおひざにいてママから離れませんが、琥博くんだけは舞台のところへ行き、食い入るように見るといった様子が印象的でした。

仕事と保育園

琴子さんは、経済的なこともあり、妊娠中から漠然と「子どもが3歳になったら自分も働かないといけないな」と思っていました。

そんな琴子さんに仕事の話が来たのは、琥博くんが2歳の頃でした。

ある施設がグループホームを立ち上げるから、日中の世話人をしないかという話でした。福祉関係の仕事は未経験でしたが、すでにできあがったところに飛び込むのにはすごく勇気がいる方で、これまで他の職種でもオープンスタッフを選んできた琴子さん。そんな自分にぴったりの良い話だと思い、働くことに決めました。

そこで、2月から保育園を探しはじめ、見学に行きました。

理事長さんとお話する間、琥博くんは同室で、スムーズに遊びに入り、泣くこともありませんでした。その様子から、大丈夫だなと思い、保育園や就職の準備が進みました。

つづく