執筆者:斎藤 裕(精神科医)

 

「定型発達症候群」という言葉をご存知でしょうか?

 

「定型発達症候群」でネット検索すると、

検索結果のトップに、

定型発達症候群って何?|発達障害プロジェクト – NHKオンライン』が出てくると思います。

そこを開くと、

NHKの複数の番組で結成された発達障害プロジェクト公式サイトがあり、全人口の大半がおちいる症候群 !?『定型発達症候群って何?』というタイトルで動画が見られるようになっています。(*このプロジェクトは、2017年5月16日にスタートしたもので、1年がかりで番組横断し、発達障害の多様な姿を伝えるというもの)

NHKの有働由美子アナウンサーによって語られています。

その内容は、

以下のチェック項目に一つでも当てはまったら、人間関係に深刻な問題を引き起こしかねない、「定型発達症候群」の可能性があるというものです。

 

□ 暇な時はなるべく誰かと一緒に過ごしたい
□ 集団の和を乱す人を許せない
□ 社会の慣習にはまず従うべきだ
□ はっきりと本音を言うことが苦手
□ 必要なら平気でウソをつける

 

実はこれは、NHKが制作した“架空のニュース動画”なのだそうで、

NHKが2017年5月から1年をかけて展開する、「発達障害プロジェクト」のページ上で公開されています。

そもそも「定型発達症候群」という言葉は、医学上認められた病名でも診断名でもなく、障害を意味するものでもないのだそうです。

では、NHKさんは、なぜそこまでしてこの動画を公開しようとされたのでしょうか?

今回は、そこのところを掘り下げて考えてみたいと思います。

 

 

「ふつう」って、何?

「定型発達」とされる定型的(平均的)な発達を示す多数派の人たちは、その人たちが「当たり前」と思ったり考えたりしていることを基準としていて、これが「ふつう」であるとして生きています。

ですから、「定型発達」の人たちが基準とするその枠からはみ出ている発達障害の少数派の人たちの言動を不思議に思ってしまうわけです。

しかしその一方で、発達障害の人が、「定型発達」の人たちのことを見ると、「変」に見えてしまうというようなことが起こっている。

つまり、「定型発達症候群」とは、発達障害の人から、「定型発達」の人たち=いわゆる「ふつう」の人たちを見た視点なのです。

 

全人口の大半の人たちが定型的(平均的)に感じているから「ふつう」?

それじゃあ、違った感じ方をしている人は「ふつう」ではないの?

といった問題提起の意味も込めて、このニュース動画がつくられたのだそうです。

NHKの発達障害プロジェクトでは、これまで当たり前に考えられてきた「ふつう」の概念にとらわれず、発達障害のある人々の感じ方・考え方を様々な角度から紹介していくことで、発達障害のあるなしに関わらず、一人ひとりの多様な感じ方や生き方への理解の促進をめざしているとのことです。

 ・

 

「定型発達症候群」は、アダルト・チルドレンと似ている !?

私が、「非定型発達症候群」のチェック項目に目を通した時、アダルト・チルドレン(AC)の特徴と似ているなぁと思いました。

アダルト・チルドレン(以下、AC)も医学用語ではないという点では同じです。

ACとは、「子どもの頃に親との関係の中で受けた悪影響の結果、成長してもなお精神的影響を受け続ける人々」のことを言いますが、人によって捉え方が異なっています。

AC概念の第一人者である精神科医の斎藤 学先生の著書『インナーマザー』(大和書房)の中に、以下概要ですが、次のようなことが書かれています。

『ACにとって親は教祖であり、ACは、その信者である。親も幼い頃から「世間様の常識」という教義にマインドコントロールされている場合が多いため、彼らにとって、親と同様、「世間様」は教祖なのです。

教祖に従うよう親が子どもを躾(しつけ)という名目で支配してしまいます。

これを「親教(おやきょう)」と呼んでいます。

けれども、そのような環境で育ったとしても、成長とともに多様な考え方に出会うことによって、親とは別の考えも取り入れながら、自分の考えを形づくるうちに、自然とその世界から抜け出してひとりの大人となっていきます。 

ところが、いつまでもその世界、そのマインドコントロールから抜けられない場合があるのです。

親と子の支配関係がはっきりしているほど、子どもは親教の支配を強く受け、なかなかマインドコントロールを解くことができなくなります』と。

 

ACとは、

狭義の意味では「生きづらさを感じ、それが親との関係に起因しているということを認識した人たち」

広義の意味では、「生きづらさを感じているが、それが親との関係に起因しているというところまでの認識に至っていない人たち」を含む

というふうに私はACのことを捉えているのですが、

 この「親との関係」を「世間様」や「社会」にスライドさせて考えると、次のようなことがわかっていきます。

 

「世間様(社会)の常識」の中で生きていることに、

①違和感や生きづらさをそんなに意識することはない、

あるいは、

➁感じていたとしても、自分の性格やものの考え方の問題だとして何かを施すことなくやり過ごしている方々、

この、①と➁の両者の方々のことを「定型発達症候群」と言っているのではないでしょうか。

 

 

「定型発達」と「非定型発達」

では「定型発達の人」と「そうではない人」とはどのように違うのでしょうか?

 

それには、精神科医である岡田 尊司先生の「非定型発達」という概念と照らし合わせて考えていくとわかりやすいため、ここにご紹介したいと思います。

『発達障害と呼ばないで』岡田尊司/著(幻冬舎新書)という本の中で、
子どもの発達は、みんなが一律ではなく、「定型発達」とされる平均的な発達を基準とするタイプに対して、それとは異なる発達の仕方や特性を示す遺伝子タイプをもった子どもが1~2割程度存在すると言われ、それらのタイプのことを「非定型発達」という言葉で呼ばれています。

以下は、『発達障害と呼ばないで』(幻冬舎新書)からの引用です。

本来、子どもの発達や成長というものは、一様なものではない。定型的と考えられている発達が絶対の基準というわけではない。各人の発達のプロセスは、それぞれ違いがあって当然であるし、一般に考えられている以上に、発達の仕方というものは個人差がある。男の子と女の子という性差によっても、発達の仕方はかなり違ったものになってくるし、その子のもって生まれた遺伝的形質によっても、異なるタイプの発達の仕方をする。

ところが、発達障害という考え方が行き過ぎると、平均的な、いわゆる定型発達が、本来期待される健常な発達であり、そうでない発達の仕方は、発達に問題が生じた“障害”であるという見方になってしまいかねない。

(中略)

そもそも発達の仕方が違うタイプが、一定割合ずつ存在するのである。それは、どちらが優れているとか、どちらが正常とかいう問題ではなく、異なるタイプなのである。それは、ちょうど血液型のようなものである。それぞれはタイプであって、どれもその子の特性なのである。

それぞれのタイプの異なる発達の仕方があり、異なる情報処理の特性をもち、社会性や情緒、認知、行動の面でも異なる特性を示す。どれもそれぞれの輝きをもった“個性”なのである。どれもメリットがあるから、長い進化のときを経て生き残ってきたのである。多数派のタイプを基準に他のタイプにも適用しようとすると、それぞれのタイプの特性に過ぎないことが、“症状”とみなされるということが起きてしまう。むしろ必要なのは、それぞれのタイプの特性を理解し、それが活かされるように働きかけるにはどうしたらよいのかということを知ることである。それは、「非定型発達」を“障害”にしてしまうか、“才能“にするかを分けることにもなるだろう。そしてなによりも、その子が少しでも幸福な人生を歩むことを容易にしてくれるだろう。

『発達障害と呼ばないで』岡田尊司著 / 幻冬舎新書 P5‐7より引用)

 

いかがでしたでしょうか?

それぞれに異なるタイプがあっても、どれもそれぞれの輝きをもった“個性”なのである、という言葉が私は大好きです。

 

 

 「定型発達症候群」の意味するところとは?

では、「定型発達症候群」の、その内容について紐解いてみたいと思います。

もう一度、「定型発達症候群」の特徴とされるチェック項目に戻ってみましょう。

 

□ 暇な時はなるべく誰かと一緒に過ごしたい
□ 集団の和を乱す人を許せない
□ 社会の慣習にはまず従うべきだ
□ はっきりと本音を言うことが苦手
□ 必要なら平気でウソをつける

 

「定型発達」とされる定型的(平均的)な発達を示す多数派の人たちは、「社会性」を基準としているということです。

「社会性」とは、集団をつくり他人と関わって生活しようとする性質や傾向を持つ、外向性・社交性に価値を求める性質や傾向を持つということです。

「定型発達」とされる人たちは、集団をつくること、組織に属することを好む傾向にあります。裏返せば、集団から離れたり、組織に属していないと、不安定になりやすい傾向だとも言えるのです。

そして、多数派によって決められた考えは「正しい」とする基準がつくられやすく、その「枠」からはみ出すことは「間違い」とされがちです。

「枠」とは、「世間様(社会)の常識の枠」とも言い換えられます。

例えば、「人並みにしておかないといけない」とか「人に遅れをとってはいけない」とか「社会から落ちこぼれては生きていけない」とか、

人というのは、世間様を意味します。

「世間様(社会)の常識の枠」からはみ出すことは、意識的、無意識的にも、私たちを脅かすものとなっているようです。

だから、“「社会性」を身につけなければ生きていけない”と、多くの人が「当たり前」のように思っているのではないでしょうか。

また、私たち日本人は、個の尊重よりも、人との調和をとても大切にします。それゆえ、秩序や和を乱すことも「間違い」とされがちです。

しかしながら、人との調和を「当たり前」とする価値観の中で生きていると、自然に、人に対して遠慮したり、「ホンネ」よりも、「タテマエ」を重要視にするようになって、自分の心に対して、正直に誠実に生きる姿勢を失くしてしまう傾向にあるのです。

外向型の人間を理想とする社会の中で、本当は外向型人間でないのに、外向型を装っていたり、自分は外向型だと信じきっている人も存在します。

その、多数派の人たちの在り方を基準に作られた社会の中で、少数派である「非定型発達」とされる人たちは、様々な不利を強いられて、不適応を起こしたり、多数派の人たちには想像もつかないほどの生きづらさを抱きながら生きることになるのです。

 

 

 「定型発達」の人たちの中で生きる、HSC(Highly Sensitive Child)・HSP(Highly Sensitive Person)=とても敏感な子・人たち

そもそも私が、「定型発達症候群」を取り上げたいと思ったのは、「ご自身がHSC・HSPであることに気づかずに、生きづらさを抱えている、気づいていても今置かれている環境や世界から抜けられないで苦しんでいる子どもさんや大人の人たちが現実にいらっしゃる」ということがきっかけです。

つまり、HSC・HSPの人たちは、自分の気質を知らないまま、あるいは、知ったとしても、自分の気質が尊重されないまま、「定型発達」とされる人たちの価値観に合わせながらその世界の中で生きることで、生きづらさを抱え、さらにその中で「(*1)愛着の傷」や「トラウマ」を負い、生きづらさを強めているという見方を、私はしているのです。

 (*1)例えば、幼い頃に自分の気持ちや意志とは関係なしに、母親から引き離された時の体験などが傷となって残り、見捨てられることに対する不安の強い不安定な愛着パターンやスタイルとなって尾を引いている、など。

 

HSC・HSPの人たちも、「非定型発達」とされる人たちと同様に、多数派の「定型発達」とされる人たちの考え方や感じ方に合わせることに違和感や生きづらさを抱えているということなのです。

社会性や感じ方、認知の仕方などで、「定型発達」とは異なる特性を示すという意味で考えると、HSC・HSPは「非定型発達」として捉えられることにもなります。 

 

 

HSC・HSPにとって、気質に合った生き方の選択の重要性

私が運営している『あの日のボクへ』というブログの、

【HSC・HSPと社会性】気質に合った生き方の選択と構築 』という記事の中で、

これは、“すべての”というのではありませんが、結構な割合のHSC・HSPが、「社会性」を示すような、集団をつくり他人と関わって生活しようとする本能的性質・傾向を持つ人間ではなく、安心できる特定の人(家族)との関係において、共感や共有を重視するといったより深い親密性や温かい心の交流を求め、その関係性の中から存在意義を見出そうとする、本能的性質・傾向を持つ人間だからなのではないかと強く思うのです。

ということを述べました。

 

ですから、HSC・HSPの人たちは「定型発達の人」の価値観や世界から抜け出せたら、
ラクになるのではないか、気質に合った生き方を選択していくことが重要ではないか、

このように考えるのです。

 

  

もっとも重要だと考えているのは、心の傷を防ぐこと 

これまで、トラウマを抱え、その後遺症で苦しむ方々に、トラウマ回復のためのセラピーを施してきましたが、

HSC・HSPという概念やその特徴を知った後、その方々の中に、結構な割合でHSC・HSPに該当する方がいらっしゃったと感じられるのです。

 

敏感さゆえの、トラウマを重ねていくという悪循環

敏感な子・人はトラウマ(心の傷)を抱えると、過剰に敏感(過敏)になって、さらに傷つきやすくなります。敏感性が高いほど、その傾向が強く出ます。

つまり、一旦トラウマを抱えると、些細なストレスに対しても過剰に反応するようになって、ストレスに対する抵抗力(ストレス耐性)は下がりますので、さらに傷つきやすくなって、2つ3つ4つ5つとトラウマを重ねていくという悪循環にはまってしまうのです。

しかし、耐え難い苦しみから逃れるために、防衛反応としての(*2)“解離”が起こっていることがあるため、トラウマを重ねていることさえ、気づかないことがあるのです。

(*2)解離…強いストレスを受け、物理的に逃げ出すことができない時、意識や記憶が飛ぶこと。「ボーっとしている」「よく覚えていない」「現実感がない」「自分が自分ではない感じ」「自分を外から見ている感じ」というもの。自分という意識が分離して、もうひとりの自分(別人格)をつくり出すことで、苦痛に耐えようとする無意識的な心の防衛反応でもある。

このように一旦トラウマを抱えるとトラウマを重ねていくという理由から、私としては、もうこれ以上トラウマを重ねてほしくない、もうこれ以上傷を深めてほしくないと思うのです。

 

勿論、早目にトラウマに対するケアを施すことは、とても重要です。

それ以上に治療者として重要だと考えているのは、心の傷を防ぐということです。

その点に関して、HSC・HSPを提唱したエイレン・N・アーロン博士は次のように言っています。

さまざまな調査で、不幸な子ども時代を送ったHSPは、同じく不幸な子ども時代を送った非HSPに比べ、落ち込み、不安、内向的になりやすい傾向がありました。でも、じゅうぶんによい子ども時代を送ったHSCは、非HSCと同様、いやそれ以上に幸せに生活しているのです。HSCはそうでない子よりも、よい子育てや指導から多くのものを得ることができるということです。
HSPは子ども時代の影響を大きく受けています。私が本書を書いた大きな理由はそこにあります。大人になってから過去の傷を癒やそうとするよりも、子ども時代に問題を防ぐほうがはるかに簡単です
『ひといちばい敏感な子』エレイン・N・アーロン著 / 明橋大二訳 / 1万年堂出版 P433より引用)

 

 

『予防』として考えられることは、

『少しずつ、“慣れ”させていけばいい』

これはよく耳にする言葉です。

HSC・HSPの敏感で繊細で傷つきやすい性質は、生まれつきの気質ですので、“慣れ”が生じにくいため、打たれ強くなるという発想があまり通用しません。打たれ強くするために、抑圧したものの反動や代償のほうが厄介なくらいです。

 

『何とか、“克服”できないものか』

これもよく耳にする言葉です。

“克服”という言葉も、そこにそれ以外の選択肢がなく、自分の苦手なものと距離を取ることができない時に使われる言葉なのではないでしょうか。

 

ですから、敏感性が特に高いHSC・HSPにとっての『予防』として考えられることは、

心の傷を受けることからまぬがれない環境や関係性に『近づかない』、

その環境や関係性から『離れる』、または『避ける』、

ということです。

そして、自身の特徴・特性を知って、今までのどのような生き方・考え方が、生きづらくしていたのかを振り返ってみるのです。

自分にとってネガティブに働いている考えや、自分を縛っている考えがあれば、自分らしく生きるためになるものに変えていきましょう。

 

執筆者:斎藤 裕(精神科医)

 

参考文献

『愛情という名の支配』信田さよ子/著(海竜社)1998

『インナーマザー』斎藤 学/著(大和書房)2012

『発達障害と呼ばないで』岡田尊司/著(幻冬舎新書) 2012 

『ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。』エレイン・N・アーロン/著(SB文庫)2008

『ひといちばい敏感な子』エレイン・N・アーロン/著(1万年堂出版)2015