最近、妻と息子と3人で話をしていて、息子の学校のこと、そして自分たち家族が惹かれる場所の話題になりました。
その中で、私の中にずっとあった考えが、改めてはっきりしたので、今日はそれを言葉にしてみたいと思います。

学びとは、本来“自由意思の発露”である
教育というものを考えるとき、どうしても
「学校で教わるもの」
「教科書に書いてあるもの」
「5教科を中心に身につけるもの」
「進学のために必要なもの」
「評価されることで“できた・できない”が決まるもの」
という固定観念がついて回る。
さらに、
・学びは“学校という場所”で行われる
・同じスピードで同じ内容をこなすのが普通
・先生が教え、子どもは受け取る
・静かに座って従うのが「良い子」
といった無意識の前提が、私たちの中に深く根づいている。
けれど私は、
学びとは本来、“自由意思による選択”から始まるものだ
と感じています。
興味をもつこと。
好きだと思うことに触れること。
納得して選び、主体的に動くこと。
そのプロセスが、子どもを大きく成長させる。
だからこそ、教育基本法に掲げられている
「個人の尊厳」を重んじながら、
「人格の完成」
「心身ともに健康な国民の育成」を目指す
という教育の目的の理念は、とても本質的なのだと感じています。

“尊厳”が脅かされるとき、子どもの心は傷つく
私がずっと気になっているのは、
子どもたちがさまざまな形で出すSOSです。
不登校、身体症状、情緒の乱れ、意欲の低下。
どれも“問題”ではなく、
尊厳が奪われつつあるサインではないかと感じています。
子どもの生まれ持った資質、
感受性、好奇心、自発的な意志、主体性——
それらが押し潰されそうになったとき、
子どもの心は叫びとしての症状や自分を守るための行動をあらわす。
そしてその奥には、
虐待という形に限らず、
日常の中で起こる「マルトリートメント(子どもに悪影響を与える大人の不適切な関わり)」が潜んでいることもある。
だからこそ、
子どもに深く関わる大人——
親、先生、身近な人たちこそが、
“関わり方”に意識を向ける必要があると思っています。

アルバイトは「実地の学びの宝庫」であるという話
息子が通う通信制高校は、他校と同じではないかもしれないが、
授業以外の活動――部活、アルバイト、ボランティア、芸術、スポーツなど――をとても推奨している。
息子や妻の話を聞いていて、私はそれを強く感じています。
こうした環境は、子どもの視野を大きく広げる。
そして、「縛られていない」という意味での自由があり、自分で選んだことに取り組みながら、いろんな経験を通して“好きな道”を選んでいける。
私は常々、
子どもにとっての「学ぶ場」とは、「自由意思による選択」と「主体性」が保障されている場所であってほしい
と思っている。
そして子どもにとっての「学び」とは、
そのような環境で、その子の好奇心に基づいて
「自発的」「主体的」に取り組まれ、自立心や独立心が静かに育っていくものだ、と。
このプロセスこそが、子どもの心(魂)が本当に求めているものだと感じています。
だからこそ、息子の友人のアルバイトの話や、息子自身がやってみたい職種のこと、
そして私自身の経験を振り返る中で、改めてこう思う。
アルバイトは、「自由意思による選択」の象徴であり、実地の学びの宝庫そのものだ。
同年代だけで働く場所ももちろん良い経験になる。
しかし、そこでひとつだけ大切なことがある。
HSCは生まれつき、
「良い環境・関係」=「その子の魂が喜ぶ環境・関係」
「良くない環境・関係」=「その子の魂が喜ばない環境・関係」
どちらの影響も強く受けやすい特性を持っている。
だからこそ、前者――“その子の魂が喜ぶ環境・関係”――に恵まれることで、子どもは安全に、安心して、能力を伸ばし、発揮していきやすくなる。
この意味で、安心感と信頼感のある“その子の魂が喜ぶ大人”がそばにいる環境は、学びの質が段違いに高くなる。
お客さんとのやりとり、
丁寧な立ち居振る舞い、
責任ある振る舞い、
相手への細やかな配慮──。
これらはすべて、
教室の中だけでは育たない力です。

「質の高いコミュニケーション」から学べること
私は最近、ある珈琲店のマスターに強く惹かれ、通うようになりました。
なぜそこまで惹きつけられるのか。
空間や珈琲、ケーキが絶品であることはもちろん、
コミュニケーションの質が圧倒的に高いからです。
細やかな配慮、ひとつひとつの接し方が丁寧、
相手を尊重した一貫した姿勢、
誠実さ、謙虚さ、温かみ。
これらは、教科書で身につく “スキル” ではなく、
その人が日々どう生きているかという 「生きる姿勢そのもの」です。
マスターの一挙手一投足に触れるたび、
私のミラーニューロンが静かに活性化され、同調し、
そして魂が喜ぶのを感じる。
私が信頼している歯科の院長先生も、
和食料理店の店主もそうです。
共通しているのは、
「人と向き合う姿勢が、美しい」
「仕事に対して丁寧で真摯に取り組む姿勢の美しさが、接客や技術にそのまま表れている」
ということ。
その美しさは、単なる接客や技術を超えて、
“人としてどう在るか”という在り方そのものです。
そして、そのような在り方こそ、
まだ純粋な子どもの心に内在化されやすく、その子の魂の成長につながっていくものだと私は感じています。

社会が求める“社会性”と、魂が求める“社会性”は違う
よく「コミュ力」という言葉が使われます。
社会が求めるコミュ力は、
“広く浅い関わり”であることが多い。
でも、魂が求めるコミュニケーションは、
“自分が交流を深めたい相手を選び、深くつながる関わり”。
HSCの子どもたちは特に、
後者を求めます。
それは欠点ではなく、
資質であり、能力です。

私が考える「子どもにとっての理想の学びの場」
結論は、とてもシンプルです。
・自由意思による選択が尊重されている
・尊厳が守られている
・質の高いコミュニケーション力をもつ大人の姿勢や存在がある
この3つが揃った場所なら、
それが学校であれ、通信制であれ、
アルバイトであれ、どんな場所でもいい。
子どもは必ず、
自分のペースで育っていく。
学びは場所の形ではなく、
“その子の魂が喜ぶかどうか”で決まる。
私は、そう信じています。

さいごに
学びとは、本来その子の内側から湧き上がる“自由な選択”の連続で、
人生の方向性はその積み重ねの中で自然と形づくられていくものだと思います。
その子が「好きなこと」や「得意なこと」を伸ばしていくことこそ、
その子の個性が発揮され、自己を確立していく道そのものです。
好きなことを深めるプロセスは、
その子の内側にある本来の力を引き出し、
自分らしさを形づくる礎になります。
そして、その道を深めていくことで、
将来、その子が“特化した存在”として、
世の中で必要とされる存在になっていくのかもしれません。

